Akashic Professional Course 体験記
コース卒業生
たちの体験談
Akashic Professional Course 体験談
Akashic Professional Courseを修了された方の変化のプロセスをご紹介します。
竹本 桂さん
「在り方が、そのまま資源となる」
〜この世界の片隅に、自分の居場所があってもいいと、許された気がした。〜
<竹本 桂(たけもと かつら)さんプロフィール>
アカシックリーダー/公認心理師/保育士
1982年生まれ。
児童精神科に勤務する現役の心理士として、親子相互交流療法(PCIT)を中心に、親子関係の絆を深める支援に携わる。一方で、アカシックリーディングを通して、心理とスピリチュアルの両面から、自己変容のプロセスをサポートしている。
好きなことは、 自然の中で過ごすこと、バイオリンを弾くこと、 子どもたちと遊ぶこと。
四男児の母。
公式HP:
https://www.ohnoyuriko.com/katsura-akashicreading
桂さんは、講義の中でもひときわ印象に残る存在でした。
好奇心にあふれ、「知りたい」という思いのままに、次々と質問を重ねていく。その姿がとてもいきいきとしていて、学ぶことそのものを楽しんでいる様子が伝わってきました。
そんな桂さんが、プロフェッショナルコースの中で語っていたのが、「資源になりたい」という言葉です。
そのときはまだ、私にとってもどこか抽象的で、つかみきれない感覚として残っていたのですが、今回お話を伺って、その意味がようやく掴めた気がしています。
その言葉の奥にあった感覚とはどのようなものだったのか。
そして、学びを通して何が変わっていったのか。
そのプロセスを、じっくりとお話しいただきました。
アカシック<プロフェッショナル>コースに進んだ理由
プロフェッショナルコースに進んだきっかけは、その前に受講していた「スピリチュアリズム探究クラス(以下、スピ探)」の存在がとても大きかったです。
そこには、まさに自分の「知りたい」が詰まっていて、学ぶこと自体がとにかく楽しかったんです。
クラスが終わっても「もっと知りたい」という感覚が残っていて、その流れでアカシックのクラスを順に受講し、気づけばプロフェッショナルコースまで進んでいました。
ただ、学ぶことは楽しかった一方で、「読む」という実践に対しては、本当に自信がなかったですね。
自分にそんなことができるのだろうかと、とても心もとない気持ちでした。
純粋な「知りたい」という喜び
ーー 桂さんは講義の中でも積極的に質問されていたことが印象的です。あれでも、抑えていたつもりです(笑)
仕組みを知ることそのものが、ただ純粋に面白いんです。
自分のことを知りたいとか、この創造とはなんだろうかとか、そういう問いに触れていくこと自体が楽しくて。
スピ探での体外離脱や宇宙意識開発といった内容にはとても惹かれましたし、アカシックで学んだ神智学の話も、本当に面白かったですね。
努力して学ぶという感覚ではまったくなくて、「なんて面白いんだろう」って、その感覚をただ味わえる空間にいられることが、すごく嬉しかったです。
純粋な喜び、という言い方が近いと思います。
最近はコース中に紹介された参考文献もよく読んでいます。 禅の話なんてとても面白いですね。
なぜか、アカシックリーダーに
ーー 桂さんは、講義では生き生きとしていましたが、リーディングやガイドの実践的なワークになると、急に硬くなっていた印象です。そんな桂さんが、アカシックリーダーとして現在ご活躍されているだなんて、とても面白いですよね(笑)コースの中で出された「100人セッション」という課題の存在が大きいですね。
それがなかったら、リーダーになんて絶対になっていないです(笑)
人って、関わっているようで、実はすごく表面的なところでしか関われていないことも多いと思うんです。
でもセッションを重ねていく中で、「人が出会うって、魂と魂として出会うって、こういうことなんだな」という実感が、自分の中にすごくはっきりと生まれてきました。
それは、私にとって、とても得難い時間だと感じるようになったんです。
最初の頃は、「うまくやらなきゃ」とか、「役に立てなかったらどうしよう」という気持ちもありました。
でも回数を重ねていくうちに、「“私が“セッションをしている」という、その“私“という感覚自体が不思議と薄れていったように思います。
境界が曖昧になっていくというか、これは特別なことをしているというよりも、「ただ意識の持っていき方なんだな」という気づきがありました。
スピ探のときに「相手の中に自分を見る」ということを学び、実践していたつもりですが、あの頃はまだ、どこか頭だけの理解にとどまっていたと思います。
ですが実際にセッションをしていると、それを体感できる瞬間に出会うことが、何度かありました。
もともと一つだったものが、こうして「私」と「あなた」に別れて対話をしている。
うまく言葉にするのは難しいですが、それ自体がまるで奇跡のようで、私の魂を大きく揺さぶりました。
セッションがつくる「場」と「自分」
もうひとつ大きいのは、セッションの前に行っている、講義で教えていただいた様々なワークです。
その中から、その日の状態に合わせて、だいたい1時間くらい時間をとって、自分を整えています。
それはセッションのためでもあるのですが、同時に、自分にとってもすごく大切な時間でもあって。
日常とは少し違うモードに入ると、ふと、すべてとつながっているような感覚が、ふわっと広がってくることがあります。
母でもなく、心理士でもなく、個人という枠が外れていった先にある「すべてはひとつ」という根底の感覚。
そこに私は強く惹かれているのかもしれません。
だからこそ、その感覚とつながることを自分に課すために、セッションをしているとも言えると思います。
一見すると主従が逆のように思われるかもしれませんが、そうすることで、結果的に自分の状態が整い、より深いところでクライアントに触れているような時間を持てるのかな、と思っています。
求めた分だけ、返ってくる
ーー ブッダスクールの印象について、教えていただけますか?私にとって、講師のつうりさんは、「私の知りたい」に純粋に、まっすぐ答えてくれる存在です。
坂本龍馬が西郷隆盛を「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く、釣り鐘のような人物だ」と評したそうですが、その言葉が、つうりさんにすごくぴったりだなと、あるとき感じたことがありました。
結局、自分が求めた分だけ返ってくる、響いて返ってくる。その感覚が、本当に唯一無二だと思っています。
逆に言うと、自分がどういうスタンスでいるのか、どれだけ深く関わるのかで、返ってくるものも変わるんですよね。
小さく叩けば小さくしか返ってこないし、大きく向き合えば、その分だけ大きく返ってくる。
たぶんそれは、学びに限らず、すべての物事においてそうなのかもしれないなと思います。
でもブッダスクールは、とくにそれを強く感じる場所で、自分の深いコミットメントに、それだけ応えてくれるスクールだなと、すごく感じていますし、感謝しています。
在り方が、そのまま「資源」になる
ーー 桂さんが見出したビジョンについて教えてください。アカシックを学ぶ中で、自分の中にあるビジョンとして浮かび上がってきたのが、「資源になりたい」という感覚でした。ただ振り返ってみると、それは新しく見つけたものというより、もともと自分の中にずっとあった感覚だったようにも思います。
私にとっての「資源」とは、何かを積極的に差し出すものではなく、ただ、そこに在るという在り方です。
たとえば、学生時代に一人旅で訪れたアイルランドの森の奥で出会った、ひっそりとした泉のようなイメージがあります。
そこに来た人は、休みたければ休めばいいし、水を飲みたければ飲めばいい。
それぞれが、必要な分だけ自由に受け取っていく。
そんなふうに、ただ在ることで、自然と誰かの何かに溶け込んでいくような存在に、私はずっと惹かれていたのだと思います。
ただ、その在り方をどう表現すればいいのかが分からず、長い間、ずっと言葉にできない苦しさのようなものも抱えていました。
プロフェッショナルコースの最初にもその言葉を口にしたのですが、そのときは「じゃあどういう形で?」と問われても、まだ何も答えられませんでした。
私には何ができるんだろうって。
どこかで、目に見える形で何かを差し出さなければ価値がない、と思い込んでいた部分もあったのだと思います。
けれど学びを深めたり、セッションを重ねていく中で、少しずつその感覚が変わっていきました。
学びを深めていくことや、自分の内側を静かに見つめ、状態を整えていくこと。
この一見、とても個人的な営みに見えるものが、そのまま誰かとの関わりの中で、あの「泉」のような在り方へとつながっていく。
この世界の片隅に、ほんの少し自分にも居場所があってもいいのだと、どこかで許されたようなー。
最近、ようやくそんなふうに感じられるようになってきています。
まだはっきりとした形があるわけではありません。
でも今は、「目の前の人と真に出会うには」という問いをいつも自分に立てながら、私なりの在り方を、深めていけたらと思っています。
真殿 千広さん
「自分を知るために選んだ、アカシックという道」
〜人のために生きてきた私が、自分のために生きるまで〜
<真殿 千広(まどの ちひろ)さんプロフィール>
アカシックリーダー/英会話講師
1998年生まれ、兵庫県在住。
心が落ち込んでいた時期にアカシックと出会い、自分の内側の探求を始める。
現在、学んだアカシックを使いながら自分の在り方を再構築中。
好きな事は、話すこと,料理,歌うこと。
公式HP:
https://chihironomado.hp.peraichi.com/
Instagram:
https://www.instagram.com/chihironomado
千広さんに初めてお会いしたとき、その落ち着いた佇まいがとても印象的でした。
彼女は、スクールの中でもかなり若い世代にあたりますが、その年齢を感じさせないほど、静かで安定した雰囲気を持っていらっしゃいます。
学びに対してもとても真摯で、ひとつひとつを丁寧に受け取ろうとする姿が印象に残っています。
ただ、その落ち着きは、少し不思議でもありました。
落ち着いている、というよりも、「落ち着きすぎている」。
その違和感の理由が、今回のインタビューで明らかになっていきます。
彼女がこのコースで経験してきた学びと変化について、じっくりとお話を伺いました。
“アカシックとの出会い
きっかけは、やはり母の影響が大きかったと思います。
母が先にブッダスクールでアカシックなどを学び始めていて、その姿を近くで見ていたことが、自分にとっても大きかったです。
ーー お母様の影響を受けて、その道を選んでいく流れはとても印象的ですね。
そう言っていただくこともあるのですが、幼い頃は、母に対してすごく強い反発があったんです。
「この人は本当はこうじゃないはずだ」という感覚がずっとあって。
ただ、それをどう扱えばいいのかわからなくて、結果的に、母にぶつけるような形になっていたんだと思います。
「出て行け」と言ってしまったこともありました。
その後、小学校や中学校と進む中で、社会の枠に自分が当てはめられていくにつれて、私自身も苦しくなっていきました。
最終的には、1年間ほとんど家から出られないような状態になったんです。
私がそうなることで、母も大きな壁にぶつかったと感じたようで。
今振り返ると、そこからお互いにスピリチュアルな領域に触れていったように思います。
ですから、「アカシックリーディングをやりたかった」というよりも、自己探求のためのひとつの手段として、母も私もアカシックを学ぶことを選んだ、という感覚ですね。
もし母がいなかったら、私は今ここにはいなかったと思いますし、この世界自体を知らずに生きていたと思います。
だから、母という存在にとても感謝しています。
100人リーディングという大きな体験
ーー プロフェッショナルコースの学びの中で、印象的だったものは何でしょうか?たくさんあるのですが、まずは課題として出された「100人リーディング」ですね。
これを行っていた期間は、自分にとってとても大きな時間でした。
セッションを重ねる中で、自分の内側も少しずつ変化していくのを感じていましたし、まさに「目から鱗が落ちる」ような体験の連続でした。
アカシックリーディングを通して、自分も開かれていくし、相手も開かれていく。
そのダイナミクスを、かなりダイレクトに感じていたと思います。
授業と並行してリーディングをしていたので、学んでいる内容をそのまま体験として理解していくような感覚もあって。
クライアントさんを通して、自分自身の学びを復習しているような時間でもありました。
その経験があったからこそ、「有料で提供していこう」とか、「セッションリーダーとしてやっていこう」という意識が生まれたのだと思います。
もしこの機会がなかったら、ここまで早く現実化しようとは思っていなかったかもしれません。
自分の内側を見分けるということ
そして、「集中力のワーク」の実践は、ほんとうに大きな体験となりました。
最初は、「ただ集中する」と言われても、正直よくわからなかったんです。
実際にやってみると、思考が入り込んできたり、体が反応したりして、うまくいかない感覚があって。
でも、ワークを毎日続けて、感じたことを細かく記録していくうちに、その中で何が起きているのかを捉えられるようになっていきました。
「今、思考が入ってきた」「体が反応している」といったように、ひとつひとつを分けて認識できるようになったんです。
それまでは全部をひとまとめにして、「集中できていない」と感じていたのですが、実際には、思考と身体と、それとは別の感覚がある。
その違いがわかるようになったことで、自分の内側を細かく見られるようになっていきました。
それによって、「何か違う気がする」という日々の違和感に対しても、「ああ、自分はこう感じていたんだ」と、はっきりわかる瞬間が増えていきました。
集中して細かく自分を見ることができるようになったことで、のちに出題される「八正道の実践」の中にある、「正見(しょうけん)」「正思(しょうし)」にも、自然と入っていけた感覚があります。
人を見る視点の変化
ーー リーディングは、何のためにやっていると感じていますか?かつてはの自分には、「人を助けたい」「サポートしたい」という思いがあったと思います。
でも、振り返ってみると、それは自分自身を助けたかったからだったのかもしれません。
このコースで学びを進めていく中で、人を助ける前に、まず自分自身がその状態になっていないと、本当の意味で手を差し伸べることはできないと感じるようになりました。
自分の中にある欠けている部分や不足感に向き合い、それを満たしていく。
そのプロセスを経た先で、初めて、誰かに関わることができる。
そう思えたことで、「サポート」という言葉の意味も、自分の中で変わっていったように思います。
もともと私は、人や物事をよく観察してしまうところがあって。
幼い頃から、「この人は本当にこれでいいのだろうか」と、どこか厳しい目で見てしまう感覚がありました。
表面的な言動や、その場を収めるためのやり取りに対して、「それでいいのか」と違和感を持ってしまう。
どこかで常に、その人の“本質”を見ようとしていたのだと思います。
でも、このコースの様々な課題を実践して、日々記録してきたログを読み返し、自分の中に変化を見つけることによって、「人にはプロセスというものがある」のだと、深く理解できたんです。
それによって、相手の本質を見る視点に加えて、「その人にもプロセスがある」という視点が、自分の中にしっかりと育っていきました。
その結果として、人の見方や関わり方も、自然と変わっていったように感じています。
葬儀という“総復習”の時間
ーー 印象に残っている出来事はありますか?一番大きかったのは、11月のプロコースの講義に参加できなかったことです。
ずっと楽しみにしていた回だったのですが、祖母の葬儀と重なってしまって。
そのときは、「どうしてこのタイミングで」と思いました。
でも、実際に葬儀の場に立ってみて感じたのは、これはただの出来事ではなく、これまでの学びの“総復習”のような時間だったということでした。
この半年間で学んできたこと。
アカシックの構造や世界観、そこにある人間の在り方。
そして自分自身がワークを通して見てきたこと。
それらがすべて、葬儀という“儀式”の中で、ひとつに重なって見えたんです。
そして、「葬儀=悲しいもの」ではなく、人がこの世界を終えていくことは、終わりではなく、ひとつの大きな節目であり、門出なのだとも感じましたね。
まるで、ここまでのプロコースでの理解がどこまで深まっているのかを、目の前でひとつひとつ見せてもらっているような感覚があって。
”総復習”の時間を、祖母が用意してくれたのだと思っています。
自分のために生きるということ
ーー ここまでの学びを、今後どのように活かしていきたいですか?そうですね。このコースを経て、今感じているのは、「これからは、現実をしっかりと生きていこう」ということです。
このコースでは、つうりさんとの個人セッションが数回含まれているのですが、その中で「自分と他者との境界線がなくなりすぎている」と言われたことがあって。
他人に対してはすごくできるけれど、
「自分が何をしたいのか」「何が楽しいのか」という感覚が、あまりないのではないかと。
言われたときは、とても戸惑いがありました。
「自分の幸せって何だろう」とか、
「自分が楽しいと思うことって何だろう」とか。
そういうことを、あまり考えてこなかったんだと思います。
だからこそ、自分の幸せや、喜びや楽しさ、怒りや悲しさといった感情を、実際の体験の中で見つけていく必要があるのだと、今は感じています。
ただ、このスクールで学び、内側を見つめてきた時間は、決して無駄ではなくて。
むしろ、これらは現実を生きるためにこそある。
今はそう感じています。
これを知らずに生きていたら、きっと無理をしたり、どこかで急ぎすぎていたと思います。
だからこれからは、
自分のために生きることを大切にしながら、現実の中でひとつひとつを選んでいきたい。
その結果として、誰かにとっての支えになっていく。
そんな在り方で、生きていけたらと思っています。

