
【ブッダスクール通信vol.68】「犬と天使の契約」
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
最近、『クレオ 小さな猫と家族の愛の物語』という
本を読みました。
これは、小さな子猫クレオが、とある家族に迎えられ
悲しみのなかにいた人々に静かに、そして確かに、
愛と癒しをもたらしていく物語です。
あらすじを簡単にご紹介すると、突然の不幸に見舞われた
夫婦のもとに、ある日やってきたクレオ。
言葉を持たない
その小さな存在が、彼らの悲しみを少しずつ溶かし、
また家族を「生きること」の道のほうへあたたかい光を
灯していく
──
そんな優しい奇跡を描いたノンフィクションです。
物語を読み進めながら、思わず目を止めて思わずメモを
してしまった一節がありました。
その一節から、「猫は癒しを与えてくれるけれども、
けっしてそれだけでは終わらない。
彼らはある部分において、人間たちのティーチャーなのだ!」
と、うすうすわかってはいたことを再確認したのです。
……の、つづきは編集後記にて。
さてさて、お待たせしました!
ここでしか読めない
つうりさん特別コラムに、さっそくいってみましょう。
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「犬と天使の契約」
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お寺にはモモという名前のゴールデンレトリバーがいる。
この文書を書いている今もモモは私の足元に寝そべっている。
モモという名前だけど、実は男の子だ。
というか14歳のおじいさんだ。
モモという名前は姪っ子がつけた名前だ。
ゴールデンレトリバーはだいたい12歳くらいが
寿命なので、もう長寿のおじいさんということになる。
寺にはスタッフとして姉が入っているのだが、
その姉の家にモモは住んでいた。
けれど姉が寺にいる時間が長いので、世話を
するためにお寺に連れてきたのだ。
モモはのんびりした性格だ。
ゴールデンレトリバーは一般的に賢く機敏な犬種と
されているが、モモの場合は微妙だ。
100匹のゴールデンレトリバーを集めて、賢さと
素早さを図るための試験を行い、順に並べたら、
モモは99番以降になる可能性が極めて高い。
またモモはとても臆病だ。
先日も破れた網戸(これもモモが自分で突き破った)が、
風でひらひらと揺れている様子が怖いらしく、
そこに近づくことができず、一日中震えていた。
そしてモモはとても甘えっ子だ。
どんな人にでも、とにかく撫でて欲しいらしく、
全身で擦り寄っていく。
犬が苦手な人でも関係がない(そういうことを
見分けるのも苦手らしい)。
どんな人にでも近寄っていく。
もちろん、犬が好きでおやつをくれたりする人の
ことは、特に大好きだ。散歩に行くたびに、その人の
住む家の玄関の前から離れなかったりすることがよくある。
人間の近くにいる犬のアカシックレコードを読むことは
興味深い。
犬にもたくさんの種類がいるが、
このゴールデンレトリバーのように、現在、人間のそばに
いることを決めた種類の犬たちは、天使の帯域との関わりを
もつことが多い。
だからこそこうした人間の側にいる犬たちは
生まれながらにして無償の愛を持っている。
犬たちが持つ無償の愛は天使存在との関わりから与えられた
特性といえる。
子供同士で喧嘩をして、お互いに傷つけあっている時、
モモはとても困った顔をする。そして子供が泣いている
時には、そっと側に寄り添って、痛みを引き受けようとする。
以前に、お寺にラブラドールレトリバーの「ダイ」が
住んでいた。
ダイは先ほどの賢さと素早さを図るための競技があったら、
モモと反対側のポジションになるようなタイプだった。
そしてまたダイは霊的な視野に優れていて、寺にいる霊や、
自然霊などを霊視することが出来たため、私もダイと
一緒にトレーニングしたものだった。
ダイの最後はとても痛々しかった。癌になり、全身が
こんぺいとうになってしまったように癌が飛び出していた。
信じられないほどの痛みがあったのだとおもう。
けれどダイは必死に生き、私が近くに行くと、最後の
最後まで立ちあがろうとして尻尾を振った。
そんな痛々しい彼の様子を見ながら、
あるとき私は気がついた。
彼は私のために生きようとしているのだ。
自分の痛みよりも、私への愛を優先しているのだ。
そして私はダイにこう言った。
「もう俺は大丈夫だから。もう大丈夫だから。
これ以上苦しまずに死になさい」と。
その瞬間、ダイは私の腕のなかで最後の息を引き取った。
人間は生まれながらにして、成熟した愛を持った存在ではない。
だから人間の寿命は長いのだ。
長く生きることで人間は愛を学び、養い、ようやく
愛を与えることができるようになる。
けれど犬は生まれながらにして、無償の愛を持っている。
だから犬の寿命は短い。
そして人間の側にいる犬は、人間にその愛を与え尽くす。
それが、犬たちが交わした天使との契約だからだ。
ここに寝転んでいるモモを見ていると、その
アストラル体の刻印のなかに天使との契約のシンボルが
あることがわかる。
そしてその契約のシンボルは、ダイのものと同じなのだ。
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〔2〕最新スクール情報
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【開講まで、あと10日】Total Integration Course
2025年5月10日(土)開講 《全講義オンライン形式》
Total Integration Course は、自己統合と個性化の
ビジョンのための9ヶ月のプログラム。
スクールの根幹である自己統合クラスと弥勒力クラスを
ひとつの流れに昇華させ、「個性化のスクール」としての
本質をより磨き上げた形へとステップアップしました。
本コースは、過去と未来を統合し、本質的な生命力を得て、
なれる最高の自分を生きることを目的としています。
個性化とは、あなた自身が本来持つ個性に触れることで、
本来そうなるであろうあなた自身へと統合されていく
プロセスのこと。
その道を参加者は見出すことで、高度かつ柔軟な
スピリチュアリティを獲得し、大きな自由を獲得することでしょう。
世界がその古い殻を脱ぎ捨て、新しいありようへと
変容するその瞬間、あなた自身もまた新しい自己へと
ひらかれるタイミングを迎えているといえるでしょう。
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〔3〕編集後記
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それは、こんな一節でした。
“クレオは「無節制」に対するわたしの考え方を変えて
しまった。’罪悪感’は猫の語彙にはない。
食べすぎても、寝すぎても、家の中でいちばんふかふかの
クッションを独り占めしても、
良心がとがめることは決してない。
楽しい時間を心ゆくまで
満喫し、それがすむと、ほかのおもしろそうなことを探しにいく。
消費するカロリー数をかぞえて無駄に頭を使うことも
ないし、のんびり日光浴をしすぎたと悔やむこともない。”
と。
そうなんです。猫って……猫って……
なんて、自由なんでしょう!
知ってはいたけれど、改めて物語の中で「猫を飼ったら
必ず感じること」がたくさん書かれていると、本当に
猫という生き物についての認識が深まるのでした。
そしてふと思い出したのが、わが家の愛猫・ニカちゃん
のこと。
ニカちゃんは、人間がソファーに座った瞬間、
「おひざに乗せて!」とやってきます。
もし足を組んでいたり、
座り方が悪くておひざスペースが狭かったりすると、
「にゃあ!」と本気で怒るのです。
おひざにニカちゃんを乗せている人間は、
そこから動くことを
一切許されません。
トイレに行きたくても、喉が渇いても、
リモコンが遠くても動けません。
なぜなら、猫がひざの上でまあるくなって、自分の
しっぽを抱きしめながら、ゴロゴロ喉をふるわせながら
くつろいでいるから。
そのかわり、わが家では新たな制度が制定されました。
「ニカちゃんを乗せている人間は、他の人間に命令できる」
というルールです。
飲み物を取ってきてもらったり、
洗濯物をたたむ係から免除されたり。
「ニカちゃんいるからね〜」
と、ふんぞり返っていられるのです(笑)。
……ただ、冷静に考えるとですね。
くつろぎマスターであるニカちゃんはいいとして、
彼女に
仕えている人間たちは、
あんまりくつろいでいない気もするのですが……。
でも、それもまた、
「自由とはなにか」「くつろぐとはなにか」
「自分らしくただ純粋にしたいことをするということ」
についての
高貴なレッスンなのかもしれません。
猫たちは、自然体で生きること、
自由な心でいること、
目の前の喜びをためらわずに受け取ることを、
何も言わずに
教えてくれます。
人間だけが抱きがちな
「もっと頑張らなきゃ」
「こんなにくつろいじゃダメかも」という罪悪感。
そんなものは、本当はどこにもないのかもしれないなあ。
もっとくつろいで、もっとのんびりして、もっと
のびのび自由に自分らしくいればいいんだなあ。
クレオやニカちゃんたち「自由とくつろぎのマスター」を
見ていると、そんなふうに思います。
今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!
文責:さめじまみお
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