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幽霊と心ある道

シャーマンの伝統によると「心ある道」とは、その人が自分自身を生きている状態のことを指します。
またどこかにその心ある道があると知りながら、自己からの呼びかけに対して、目をそむけ、道を歩むことをそらし続けていることを「心無い道」を歩んでいるといいます。

おそらくどんな人でも「心ある道」の感触を知っています。

誰かからかふと聞いた一言や、一冊の本の文節、あるいは衝撃的な出来事などによって、心の鐘が鳴ったような瞬間。

頭ではなく、魂それ自体が震えたような感覚。

そのとき、人は自己の本質からの呼びかけを触れ、「心ある道」を垣間見ます。
 
しかしほとんどの場合、私たちはこの心ある道からの呼びかけを人生の導きとすることはなく、周囲の期待に答え、社会的な役割や、集合意識レベルでの成功などにフォーカスをあわせ、それらを人生の導きとします。
 
そして走りつづけ、ふと立ち止まった時、ずっと昔に何かを置いてきてしまって、自分自身ではない道を歩み続けてきてしまったような思いが、覆いかぶさってきます。まるで影に襲われたかのように。
 
しかし何をすれば自分が満たされるのか、どうすればこの欠けた自分を元に戻すことができるのかわからない。
これが「心無い道」を歩んできた状態です。

またシャーマンの伝統ではこの状態を「幽霊」といいます。
 
そう。幽霊とは肉体の死からうまれるわけではなく、その人自身の本質は遠く離れ、自分が何者かわからなくなっている状態のことを指すのです。

「シックスセンス」という映画作品がありました。主人公役のブールス・ウィルスは、霊との戦いにまきこまれた子供をヘルプする役割として登場するのですが、この映画のラストシーンはなかなか衝撃的です。

覚えている方、いますか?

そう。自分を人間だと思っていた主人公こそが、幽霊だった、という真実がオチなのです。
 
映画のなかでは、幽霊には皆、特徴があります。

それは「自分を幽霊だと認識できていない」というポイントです。

つまり自分がいつの間にか死んでしまっているということを知らず、そのまま生き続けていると信じている状態なのです。

さて。このシックスセンスの幽霊の逸話は、痛烈なメッセージが込められています。
 
それは「あなたはいま人間ですか?」ということ。

どうでしょうか?

ひょっとして自分で気がついていないだけなのだとしたら?

私たちはつい自分自身から目を背け、何度も繰り返す人生からの呼びかけを無視し、なんとか現実をやりくりしようと必死です。
 
しかしそれを繰り返しているうちにいつのまにか疲弊し、魂を失い、幽霊として「心ない道」をあゆんでしまっているのかもしれません。
 
いま私たちの目の前に溢れる成功ビジネスやスピリチュアルな人が説く豊かさの法則などでは「目覚め」や「覚醒」といったものを婉曲させ「目覚めれば幸せになれる」「覚醒すれば社会的な成功が得られる」という風潮が強まっているように私は感じます。
 
しかし、そのような流行のなかで華やかに見える人たちは、心ある道を歩んでいるでしょうか?
 
心ある道とは、社会的な物差しによっては測られることはありません。

たとえば若くして成功した歌手などが、最初は素晴らしい生命の輝きを放っていたけれど、いつからかその輝きがくすみ、どこか疲れていくような場面を私たちは知っています。
 
もし私たちが見ている華やかに見える彼らが、幽霊だったとしたら−。

導きの声はたしかに、その人と最初は共にあったのです。しかし同じことを繰り返していくうちに、徐々に道が逸れ、気がついたら、社会性のなかにとらわれ、身動きがとれなくなっていくのです。
 
シャーマンの伝統では心ある道をとらえるのには、とても注意深く自分自身と付き合い、いかなるときにも自分の心の声を真摯に聞きつづける必要があるのだとしています。
 
人間の頭は言い訳を作り出す天才ですが、心の声は常に正直なのです。
 
そして心の声は、大きな決断のときではなく、日々の小さな決定のなかにこそ、響いているもの。
 
毎日私たちは、小さな決定をし、日々をやりくりしています。誰かに何かを伝えねばならないときに、少しだけ誇張してしたり、自分に都合位良いような言い方をしたり。
 
そんな小さな瞬間のなかにも心の声は響いています。

自分自身を生きるということ、心ある道をあゆむということは、その瞬間瞬間に自分にどれだけ正直であるのか、ということ。

この心ある道からの呼びかけを私たちはどのように受け取っているでしょうか?
 
外側の何かにすがりたいけれど、何をもってすれば安全なのか、損失を少なくできるのか、得ができるのかといった関心ごとに誰もが心を奪われてしまっているのかもしれません。

焦り、競い、奪い合う時、私たちは心ある道から離れていく、とシャーマンたちは伝えます。心無い道で、どんなに得たように見えたとしても、結果的には幽霊としてさまようこととなるのです。

そしてどのような外側の状況にあっても、心の声に深く耳を傾けることができる人は、ほんとうの宝を決して失うことはありません。

あなたを導く声は常に内にあります。

あなたが外側で得た何者かにならなければ、導きの声をうけとることができないわけではありません。
 
そして外側のどのような基準もあなたの心の声とはならないのです。

野に咲くひとひらの花のなかに。

一粒の砂の中に。

あなたはこの宇宙のすべてからの導きの声を聞くことができます。

そして心ある導きをガイドとするとき、あなたの人生はその真実を明かすことでしょう。

とても静かに。ひそやかに。

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