宇宙人と出会う
■宇宙人と出会う
宇宙人は私たちと同じように固形的な物質で成り立っていて、金属でできた乗り物に乗っている、といったSF的なイメージをさらっと捨ててしまいましょう。
それはとても楽しいアイディアですが、作りものであると言わざるをえません。
太陽領域に住まう私たち人間の構造は、太陽の光の反射物を見るように作られています。そのため、他の惑星や恒星へ旅するならば、まったく別の感覚でとらえなければなりません。
宇宙人と出会う、ということを、誰かにばったり出会うようにとらえず、たとえば空間そのものとして表現されていたり、構造や数字のなかに存在する、と柔軟にとらえてみることです。たとえばピラミッドや超古代遺跡を誰が作ったのか、という議論ではなく、その構造のなかに、建築の様式のなかに、彼らが存在しているととらえてみるのです。
とにかく覚えておいていただきたいことは「物質にこだわらない」ということです。親の愛が目に見えないけれど確実に子供を守り、人類を中核で支えているように、たしかなものほど物質の形態をとらず、目に見えないものです。
つまり目に見えないからといって、「ない」のではなく、目に見えないからこそ「ある」と確信できるのです。
その点ではジョディ・フォスター主演の映画「コンタクト」は非常に見事に、その点を突いています。この映画の粗筋を短く書いてみましょう。ベガから、電気信号を受け取った科学者が、その信号を解析したところ、設定図であったことが判明します。そして科学者たちはその装置を作り、ベガとのコンタクトを果たします。
このコンタクトが行われた際、主人公は彼女がよく知っているフロリダの海岸の風景が目の前に広がっていることに気がつきます。そしてベガからの存在は主人公が幼い頃になくなった父親の姿をしていました。
この映画を表面的に見れば、「宇宙人は親しみやすいように、知っている風景、知っている人として現れたのだ」と感じることでしょう。
しかしもうひとつの観点から見た時にこのように言えます。
「いま地球で体験していることの中に、宇宙での体験が染み込んでおり、それらはすでに自分が知っている光景や、知っている人物のなかに滲み出ている。宇宙での体験は時間と空間に特定されていない。けれどけっしてこの地球での体験と分断されたものとはいえない。この地球での時間と空間のなかに、他の星、システムの次元も重なり合っている。宇宙存在とのコンタクトは分断された顕在意識のみで行われるのではなく、常に無意識領域においてなされている」ということです。
あなたが内側に宇宙意識を見出すなら、それを「かっちりとした、まったく新しい何か」とはおもわずに、むしろ「よく知っている感覚であり、すでに体験したことのなかに含まれていたものを再び見出した」と気づくことでしょう。
(ブッダスクールスピリチュアリズム探求クラスのテキストより)
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