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私はオールドソウルですか?あとどれくらいの学びが私には必要でしょうか…?

「私はオールドソウルですか?あとどれくらいの学びが私には必要でしょうか…?」

というご質問を、アカシックセッションやワークショップなどで受けることがあります。

また逆に「あの人はベビーソウルなので、まだ体験が少なく、未熟なのでは…?」

なんて話を、スピリチュアルなことを学んでいる方が、口にすることを耳にします。

つまり、魂は転生を繰り返しながら、学びつづけ、体験を積み、ある程度の段階になると、学びを終えて、そこを卒業していく…そんな常識が、多くの方のなかに、なんとなく一般化しているように私は感じます。

今回はこの「魂は学びを必要としている」ということについて、ちょっと整理してみたいと思います。

まず結論から。

「魂は学びを必要としているわけではない」というのが私の見解です。

*

魂が何らかの学びをするために、転生を繰り返す

イコ-ル

魂は学びを必要としている

*

この考え方は、アカシックリーディングに触れていくに従って

魂は経験を必要とはしていないし、学ぶことすらない

という視点に変わっていくのです。

たしかに魂には何らかの欲求のようなものがあり、転生を繰り返しながら、その欲求を埋めていきます。

しかしこれを地上的な見方で理解とすると、誤りが生まれます。

つまり

*

人間は成長が必要である。

成長を重ねていくにつれ、体験は深まり、大きな仕事をなし、内面的にも充実していく

*

という地上的で、直線時間に基づいた考え方は、私たちの肉体に根ざした視点なのです。

これをそのまま、魂に当てはめようとすると、

魂も何らかの成長をしているのだろう

だから、経験を重ねた魂は、大きな才能や、偉大な指導者などの資質を持って生まれてきているのではないか…という見方をしてしまうのです。

アカシックレコードにつながり、個人の魂の姿を見ることは、本当に面白い。

その姿を一度でも見たことがある人なら、魂は学びが必要であるとは、夢にも思わないでしょう。

ひとりひとりの魂の存在はあまりにも広大で、深淵です。

もしあなたが想像力を働せ、全知全能の神、といったものをイメージできるなら、そのイメージをはるかに超えたものが、あなた自身に宿る魂であると言えます。

もし準備ができていない状態で、あなたが誰かの魂の姿を見たなら、その瞬間に気を失うでしょう。

ちっぽけな脳の理解力では、その全容を既存の概念に当てはめてとらえることが、到底不可能なので、脳が一時的にオーバーヒートしてしまうからです。

魂には直線時間という概念はありません。

直線時間がないということは、「成長」という視点はそこには存在しないのです。

増えることも減ることもなく、最初からすべてが満たされています。

成長がないということは、「学ぶ」ということすらありません。

地球で一番最初に降り立ち、人間として生きはじめたその瞬間と、すべての体験を終えて、地球を出て行く瞬間は、つながりあっています。

まるでチベットの壮大な曼陀羅や、インドの叙情詩の、広大な物語が完成された全容を含んで、そこに表現されているように、魂の全体性はすでに最初から存在しており、何一つ欠けることも、足す必要もないのです。

ですから、魂は体験を通じて、学びを必要としているわけではなく

体験することによって、よろこびを放射している

だけなのです。

チャップリンがこんな名言を残しています。

「人生は近くで見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」

人生の真っ只中にいるとき、体験から学ぶ必要がないなんて、意見はほとんどの人にとって、くそくらえです。

なんでこんなに苦労しているのに、こんなに苦労して悲しみを乗り越えようとしているのに、人生が学びでないなどと言えるのか?

体験が足りなくて、間違いを繰り返して、度重なる苦難を乗り越えて、健気に頑張り続け、ここまでようやく登ってきた。

その真っ只中に必要なのは、体験と学び。

そして悲しみです。

しかしそれが終わり、肉体を離れ、自分の一生を振り返るとき。

なんと健気に自分はがんばってきたことか。

何も頑張る必要はなかったのに。

最初からすべて答えはあったのだ。

一生かかって、スタートからゴールへぐるりと円を描いて戻ってくる。

なんて笑えるんだろう。

まさに喜劇です。

これはひとつの悟りの瞬間といえるでしょう。

…ということで、最初に戻ります。

魂の転生の回数が多い=オールドソウル

という考え方について一言。

私はオールドソウルという言い方はせずに、

地球マニア

という言い方をします。

セッションをしていたなかで、一番多かったのは、2500回ほど転生している魂の方。

もしこの方が、学びを重ねるために、そんなに回数があるんだったら、大変すぎます!!

そうではなくて、単純に、

「ああ。地球の悲劇が好きなのね」

と私は思います。

噛んで噛んで、味わい尽くして、味がなくなっても、まだまだ噛んで…。

そんなのが好きなんです。

そして転生の回数が少ない=ベビーソウル

に関して一言。

いまの時代、転生の回数が少ない魂はものすごくたくさん存在します。

特に20代未満の若い人たち。

彼らの魂はたった一度の転生で、すべてを味わい尽くして、悟って、地球を出て行きます。

そんな彼らは果たして何を体験するのでしょう?

さて。

オールドソウル・ベビーソウルについて、どちらがどうだと感じますか?

どちらがスゴい、と言いたいわけではないんですよ。

オールドソウル・ベビーソウルの違いは、地球の体験の味わい方の違いにすぎないのです。

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