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この世界にはまだ歌われていない歌がある。
その歌はきっと歌われることを待っている。

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神からの使命は何?





【神からの使命】

あるときふっと思い出す。
ずっと忘れていた、神から与えられた自分の使命があったんじゃないか…って。
そしてこれまで何気なく過ごしていた毎日が、とてもからっぽに感じられて。
あらゆるものを投げ出して、自分の持って生まれた使命を見出そうと探究をはじめる。
そしてなにかに没頭して、使命を見出そうとして、手当たり次第やってみる。
使命そのものは見つからないけど、やりがいは見つかった気がして、がんばる。
そんな毎日が続くはずがなくて、情熱が消えそうになる。
だけどふとしたときに、何か自分の使命があるはず…という、燃え尽きない思いがやってきて、またその思いに駆られて探究の旅を始める。
そして人生が終わりかけたとき。
亡くなる5分前に、あなたの目の前に神様が現れる。
正真正銘のホンモノの神様だ。
そして神様はあなたに質問をする。
「使命を全うしたか?」
あなたは泣きながら答える。
「その使命が何なのかを思い出すことに一生を費やしてしまいました!まだ全うしたとはいえません!」
そうすると神様は、やれやれという顔で答える。
「生まれる前に私と誓ったあなたの使命は
<使命はないと知り、生きたいように生きること>
だっただろう?」
さて。あなたはそれを聞いて、なんて答えるだろう-?

「生きたいように生きる」こと


上の文書は個性化について、物語風に書いてみたものです。

個性化とは、ユング心理学の用語であり、
「個人に内在する可能性を実現し、人格を完成していくこと」
を表します。

また個性化のプロセスとは
「個人に内在する可能性を実現し、その自我を高次の全体性へと志向せしめるプロセス」
を表しています。

「個人に内在する可能性を実現し、人格を完成していくこと」
普通の感覚で読むとさらっと流れてしまいそうです。

しかし「個人に内在する可能性を実現し」とはいったいなんのことでしょう?

通常、私たちの可能性は外側に向けられていることがほとんどです。
そしてまたそのことに気がつかない。

華やかに見える才能、注意を引く外見、十分な収入、際立った言動。
「ああ。すごいな。私もああなりたいな」と思い、どうやったらそうなれるのかという可能性について、自分に問いかけます。
けれどもこの時点でスタートのポイントが違う、ということに気がつかないのです。

そしてまた使命ということに関しても同じです。
誰かが見せた使命の表現を自分に当てはめることから、スタートするために「あれでもない。これでもない」が繰り返されているということに、気が付きにくい。

冒頭に書いた物語のなかで、主人公は「自分の使命を思い出すことに一生を費やしてしまった」と語りますが、これはそもそも「誰かがこうだと思う、概念としての使命」にとらわれてしまっている状態といえます。

使命とは文字通り、命を使うこと。

この世(現象面)にとらわれた魂は、あの世(非現象面)からの感触を忘れています。
また外面はこの世であり、内面はあの世です。

「何かの役に立つ」という考え方は、外側の適応に根付いています。

逆に「まったく何の役にもたたない」という考え方は、内側の個性化に根付いています。

アサジョーリのサイコシンセスの手法のなかで「まったく何の役にも立たないことに、日々1時間没頭する」というワークがあります。

結果的に何かに結びつき、自分の使命を生かすことになる、という概念そのものが、内在化する可能性を邪魔しているのです。

前述の物語の最後に神様が「使命はないと知り、生きること」と伝えますが、これは「外側の適応から生み出された使命という概念そのものが、不要なのだ。そうではなく、ただ生きたいように生きるとき、おのずと人は内在化された可能性を生きることになる」ということを表しています。

スピリチュアルな探求のはじまりは、本質的に社会性と相反する衝動です。

たとえば仏教の修行では、世間と隔絶した環境のなかに身を置くことで、社会性のなかでは見出せない自分自身に出会います。

社会性に根差さない自分とは、あの世の自分であるともいえます。
誰の心のなかにも、この世に属さない、あの世の領域があります。

そしてこの世に属していない、あの世のものだからこそ、そこには無限の可能性があるのです。
その領域の自分にいる自分は、現象面の自分とはまったく異なる力を持っています。
現代では、スピリチュアルな探求をこの世界のものと混同してしまうことがあります。

しかしここまで書いてきたように「この世界をよりよく生きるために」という名目は、スピリチュアルな探求とは相反するものです。
「心の内側にある、まったく役に立たないとされ、普段だったら目も向けないような領域」は「心の内側のあの世」であり、社会性をもたない自分自身です。

その自分に触れることは、めったにないことでしょう。ひょっとしたら、人生のなかで大きな転機、あるいはトラブルや病気や怪我などとして体験する人もいるかもしれません。

しかし何かの拍子に、「あの世に属する自分」に触れた時。

まるで水風船がはじけるように突然に。
「生きたいように生きる」ことだけが、人間のほんとうの目的であり、使命という言葉の意味は、外側にあるのではなく、心の内側にだけ存在するのだと気づくのかもしれません。

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