
【ブッダスクール通信vol.62】「植物状態の人は全てを感じているし、死者もそれは同様」
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当さめじまみおです。
もう1月も終わりとは……。
ビュンビュンと音が聴こえそうなほどのスピードで
時が過ぎてゆきますね。
わたし個人のことでいいますと、今月は長めの
体調不良があったためふだんよりは余裕を持った
スケジュールに変更し、療養も兼ねつつ、わりと
たくさんの本を読んでいました。
中でも特に夢中になって一気読みしてしまった
のが、全盲のピアニストである辻井伸行さんの
母、辻井いつ子さんが書かれたエッセイでした。
生まれたときから全盲だったという息子さんを
育てる中での絶望、葛藤、そして、それでも
信行さんが幼い中でもどうしようもなく現れた
奇跡のような耳の良さ、感性、そしてピアノとの
出会い。
想像もつかないほどの大変な日々の中で、
いつ子さんがいかにして辻井伸行という類稀な
音楽家を育てるにいたったのか、という内容の
中に、とても驚くようなエピソードがあったのです。
(どれもが驚くべきエピソードだったのですが、特に!)
……の、つづきには編集後記にて。
さてさてお待たせしました!
ここでしか読めない、つうりさん特別コラムに
さっそくいってみましょう。
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「植物状態の人は全てを感じているし、死者もそれは同様」
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先日、植物人間と呼ばれる状態から復帰した
方が、その体験のすべてを感じていた、という
シェアを語った体験を目の当たりにした。
脳波を取り、本人の脳の意識的な活動が確認
できない状態だったにも関わらず、本人は
五感のすべてを感じていたのだ。
目は閉じているために視覚はないが、特に
聴覚が冴え渡り、周囲の話し声はすべて
聞こえていたという。
そして手を握り、意識の回復を願う両親の
想いとその愛のエネルギーがヒーリングを
起こしたことをはっきりと自覚したとのことだった。
また本人が回復し、言葉を発することが
できるようになったのち、医師にそのことを
伝えると、医師はそれらを妄想ととらえ、
受け取らなかったという。
しかし呼吸のための喉の切開の手術の様子を
克明に語った際に(麻酔なしだったので、
壮絶な痛みを感じていたとのこと!)、医師しか
知り得ない出血の詳細を語り、医師も信じざるを
得なかったという。
ここからは私の見解なのだが、これは私たち
人間の意識の所在のありように関わる出来事だと考える。
肉体の五感とエーテル体の五感は重なり合っている。
そのため肉体の五感が物理的神経的に閉じられた
状態であっても、エーテル体の五感は機能している。
また本人の意識の所在は物理的な脳から
エーテル体・アストラル体・コーザル体へと
折り重なるように存在している。
このことは死者の状態でも同じことだ。
物理的な肉体の呼吸は止まり、脳波が止まった
としても、それは直接、本人の意識の停止を
意味しない。
むしろ肉体からの影響が止まったために、
意識はその本来の機能を取り戻し、明晰さの
輝きを取り戻していく状態にある。
だからこそ私は葬儀の際に、遺体と遺族を
目の当たりにし、「この方はいまはっきりと
目覚めています。むしろ生きている時の肉体の
影響を抜け出して、最も明晰な状態で周囲の
すべてを認識している状態です」と話す。
そしてまた
「生前にかわすことができなかった思いを
どうぞ伝えてください。良い悪いに関係なく、
あなたがこれまで伝えたかったことを
すべて伝えてください」と話す。
これらはチベット死者の書にある、死者への
導きの文言だ。
死者はそれらの言葉をすべて聞き、かつ
周囲のエネルギーを鋭敏に感じ取る。
それらの言葉とエネルギーを受け取りながら、
死者は人生で起こった避けられない出来事や
主要なイベントを回収するプロセスへと突入していく。
そして肉体が物理的に失われたのちも、
死者の意識の旅は続く。
エーテル体、アストラル体、コーザル体と
回帰しながら、それぞれのボディの領域を旅する。
自らの失われた愛を求めて。
あるいはそれを見出す旅を、肉体を持つ家族と
共にしながら、時間を越える旅へと死者は飛び立つ。
私たち人間の機能は、社会的な役割だけに
あるのではない。
社会的な領域で機能が停止したと同時に、
その人のすべてが失われてしまうわけではないのだ。
想像してみよう。
あなたの周りで亡くなった身近なあの人が、
いまこの瞬間のあなたのすべての言動を
聞いているとしたら。
あなたの心の動きやエネルギーを、
あの人がすべてとらえているとしたら。
あるいはあなたが愛に悩み、
苦しんでいるときに、同じように
あの人も苦しんでいるとしたら。
そしてあなたが自分自身を見出す道へと、
恐る恐る踏み出すその一歩を、そっと後ろから
支え、手助けしてくれているのだとしたら。
失われたものは何もなく、すべてはいまここに
あるのだとあなたは気がつくだろう。
そしてあなたという存在の本質は、あなたが
頭で捉えられるものを遥かに越える、という
ことを悟るだろう。
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〔2〕最新スクール情報
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【募集中】先祖供養セラピーワークショップ
2025年3月1日(土)・2日(日)in 甲府(高源寺)
このワークショップは、あなたの家系の流れと
ブロックを認識し、先祖たちの総体である「祖霊」の
望みを理解し「祖霊」とつながり、エネルギーの滞りを
解き放ち、生きる力として使っていくという2日間の
ワークショップです。
さらに、私たちがどのように先祖供養という大きな大きな
財産を、現実に活かすことができるのかということについて
お伝えしています。また一日の終わりに、法要式の形式を
使い、家系の滞ったエネルギーを解き放ち、無限の愛の源
である祖霊とつながるワークを行っていきます(※)。
※
このワークショップの目的は、仏教の既存宗派の
教えや他の宗教の先祖供養の考え方や方法を
否定することではありません。各々の宗派、
宗教の先祖供養の方法を含んだ上で、新しい視点を
提示する目的で行われます。
【募集中】第4期アカシック《ベーシック》コース
2025年4月19日(土)開講 《全講義オンライン形式》
この4日間のクラスでは、アカシックレコ-ドに
関する基本的な概念、読み解くための方法、そして
他者をリ-ディングするための実践的なテクニック
を習得することができます。この4日間を終了する
ことによって、恒久的な変化があなたに訪れること
でしょう。そのことによって、あなたはアカシック
レコ-ドという存在が、あなた自身と密接に関連して
おり、仕事、人間関係、健康などのとらえ方に大きな
変化が起こることを体感することでしょう。
またこのクラスでは新しいスキルである「アカシック
ガイドセッション」を習得します。これは従来の
リーディングの方式とは異なり、「アカシックを直接
体験する」ためのものです。
感情や身体レベルの深い領域を扱い、大きな解放と
気づきをもたらします。
どちらもお席に限りがございます。
お申し込みはお早めに!
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〔3〕編集後記
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全盲のピアニスト辻井伸行さんを育てた母、
いつ子さんの、想像をはるかに超えたすばらしい
教育方針、それは
「美しいもの、本物に触れさせる」
というもの。
もちろん至極まっとうな意見だと思います。
だれしも、我が子にはなるべくなら美しいもの、
本物に触れてほしいと願うでしょう。
ただ、わたしが驚いたのは、いつ子さんは
目の見えない伸行さんを連れて、
美術館へゆき、
システィーナ礼拝堂へゆき、
マンションのテラスから見える空を見せ、
夏は熱海の花火大会へゆき、
沖縄で沈む夕日をともに眺め……
そう、どんなところにも連れてゆき、味わうという
体験をたくさんたくさん積み重ねていたのです。
そのことについて、
具体的にはこんな言葉で書かれていました。
”私のなかで伸行が「見えない」ということは、
少なくとも芸術や美の鑑賞においては関係なくなりました。
(中略)私が美しいと思うものはどんどん体験させるし、
美の現場において伸行はしっかりと聴覚や触覚、
そして心でそれを味わうことができるのです。”と。
そして、彼女は伸行さんとの美術館では
ガラス越しにクリムトの絵に
触れさせる。
ベルサイユ宮殿ではマリー・アントワネットが
寝ていたベッドにも触れさせる。
感じてごらん、触ってごらん、と
その物質その空間にあるかけがえのない何か、
彼の音楽家人生にとって必ず必要になるであろう
美しい存在を、五感だけではないどこかへと
つなげていたのだろう、と、私は思いました。
その証拠に、著名な音楽評論家は辻井伸行さんの
演奏について、こんな感想を寄せているのです。
”辻井さんの演奏は、視覚障害者にありがちな
色彩感の欠如がありません。実に豊かな色彩が
感じられます。そこが優れていると思います。”
わたしたちの常識の範囲で考えると、見えないと
いうことは色のない世界のこと。
けれどもたしかに彼の演奏は、音の粒子の
ひとつぶひとつぶからまるで色とりどりの光が
溢れてくるような演奏なのです。
さらに、演奏するときはステージにひとり
座ってピアノへと向かう、そんなときも、伸行さんは
「いつでも背中に母の手を感じる」
と言っていました。
そして母であるいつ子さんもまた、演奏している
伸行さんとつながり続けている感覚がある、と。
あ、なんだか書いていて目頭が熱くなってきました(笑)。
わたしたちという存在。
人間という存在って、ほんとうに不思議ですよね。
自分が思うよりもずっと、ずっと、
この皮膚に覆われた内側のカタマリ、なのではなく
この世界に偏在するすべてとつながっている、
愛と祝福に満ち満ちた存在なんだなあ!と
思いました。
今日も、最後までお読みくださり
ありがとうございました!
文責:さめじまみお
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