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この世界にはまだ歌われていない歌がある。
その歌はきっと歌われることを待っている。

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スターリンと宇宙の酒場とワームホールと情報の身体【ブッダスクール通信vol.81】

みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。

秋も深まり、ふいに冷えこむ日が続くようになりましたね。
外の気温も、心の温度も、ゆらぎやすい季節。
そんな移ろいの中で、実は先月、わたしは珍しく、とても深い落ち込みにのみこまれていました。

「自分をやめてしまいたい。すべてを捨てて、消えてしまいたい」—そんな言葉が繰り返し胸の奥に浮かんでしまうほどの、ここ数年でもまれに見る沈み込みでした。

表面上はなにも問題はなく、理由がはっきりしているわけではないのに、気づくと心がずるずると引きずりこまれていく。
つかめるものがどこにもなくて、浮上する手がかりも見つからない。

そんなまっくろな渦の中で、ひとつだけ心に残ったのが“共感”という、小さな灯りでした。

このお話の続きは、編集後記にてゆっくり書かせていただきますね。
それでは、お待ちかねのつうりさん特別コラムへどうぞ!

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    〔1〕齊藤つうり特別コラム
「スターリンと宇宙の酒場とワームホールと情報の身体」 
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目に見えないエネルギー構造が必ず存在するということは、世界の科学界の共通認識である。
デヴィッド・セッケル(宇宙学者)

《前回から続いています》

その頃、来る日も来る日も、私はケイシーと共に集合意識の領域に浮かぶ、古い信念体系の輪に飛び込み続けた。宗教や戦争、あるいは特定の思想を永遠の時間のなかで繰り返し続ける存在たち。私は【可能性の変動指数】をその領域に呼び込み、ケイシーは固着化したエッジを解放し、ゲートを開く。
彼女のエッジの解放は毎回、ほんとうに見事だった。まず私が古い信念体系の輪に飛び込む。これは【可能性の変動指数】を多く所有する私にしかできない。そしてそこにある信念の核のようなものをすばやく見つけることが私の仕事だった。その核に私が接続すると、ケイシーを呼ぶ。するとケイシーがゲートを開き、輪のなかに入ってくる。
そこからが彼女の腕の見せ所だ。彼女はその信念体系の核となる人物や、思想を体現する象徴―たとえば人類の終末における救済の光―のようなものとして、現れる。
あるときはキリストとして。あるときはスターリンとして。あるときは神々しい光そのものとして。
そして永遠ともいえる回帰を重ねていた人々は、自分たちの願いがまさにいま果たされたのだと気づき、その領域で新しい可能性を見出す。
そしてまたその領域の人たちと対話が必要な時には、ケイシーはどこまでも時間をかけ、話した。相手を受容し、理解し、そして愛の誤解の根本を解きほぐした。
ある領域では、親に売られ、差別され、家族や社会に憎悪を感じ、極端な平等主義や、大いなるリーダーにあらゆる理想の愛を重ねる人々が集っていた。ケイシーはその領域での理想のカリスマとしての姿を纏い、そこに降りた。
まず彼女は、彼らがなぜそこにいるのかを詳細に聞き、その内容に深い理解を示し、共感した。その共感は表面的なものではなかった。ケイシーは彼らの物語に深く入り込み、共に傷つき、共に泣いた。そして彼らはカリスマとしての存在が、自分の物語を受容してくれ、その上で共に傷つき、泣いてくれることで、心を開いていった。
私は当初、ケイシーがなぜそこまで物語に入り込むのかと疑問に思ったこともあった。しかしある時、私は気がついた。ケイシーは自身が体験した愛の誤解の断片を、彼らの物語を通して、統合しているのだ。ケイシーは自分の内側に彼・彼女らとしてあらわれているものを見出しているのだ。そこに【思考応答性】があり、ほんとうの意味での解放が起こるのだ。
以前に、ケイシーは【愛の誤解の信念体系】に入り込んだ人々をガイドすることを選んだの、と言った。その言葉の意味と、彼女の行動が私の目の前ではっきりと理解できた。
そして私は彼女が【思考応答性】について繰り返し話す意味を改めて知った。この世界で体験する全てのことは、たしかに自分の全体性としての意図の表れなのだ。自分の意図が現実となるのだとしたら、逆にその意図を明確にすることで、目の前の現実を理解できる。
ケイシー自身が、愛の誤解に関するテーマを持っており、そのテーマを追うことで自分自身の道を辿っている。だからこそ、彼女はガイドの役を選んでいるのだ。それが彼女の仕事—自分のテーマを追求する道—なのだ。
信念体系の輪のゲートが開かれ、古い物語が開放されると、人々は各々のやり方でその領域から離れていった。それはまるで、砂漠の真ん中で長年身を固く閉ざしていたサボテンが、何かのきっかけで花を咲かせ、解き放たれた香りが周囲に自由に飛び交っていくようだった。

私たちの仕事が始まって、2年が経ったとき、彼女は言った。
「人間の集合意識のシフトのタイミングが近づいているの。そして前も言ったようにこの信念体系のゲートを開く仕事は、ほんとうなら私たちガイドの仕事ではないの。けれど時間がないの。銀河面を太陽が通過するタイミングに合わせて、【可能性の変動指数】をより多く地球は持ち合わせる必要があるの。そうすることで、【銀河系鎖国時代】にあった状態から、異なる銀河、恒星システム間での行き来が再び行われるようになるのね」
先ほど私たちは仕事を終えてきたばかりだったので、ケイシーはその時に身に纏ったチベットの高僧の姿のまま話をした。おかげで私は背筋を立て、彼女の話を聞いた。
「このことは以前にも話したから、わかっているはずなの。そして十分にあなたは経験を積んだの。私と仕事をしたこの2年で、あなたにはこの世界が【多次元的連続体】であること。そして意識とは、物理的覚醒を超え、段階的なプロセスを経て、現在の科学的な視野の先に存在する宇宙の物理的領域へと広がっている連続体であること。そしてこの意識の連続体は宇宙そのものと同じくらいの規模と多様性をもっていることをあなたは知ったの。そしてこれはもちろん体外離脱を通して、あなたが非物理的な領域での意識を開発したからにほかならないの。あなたはこの地球で物理的な領域と非物理的な領域を、連続的に体験ができるようになったの。その上であなたに伝えることがあるの」
ケイシーとしての存在が、チベットの僧の姿を纏っているという理解だったのだが、この姿は意図的なのだと私は気づいた。かつて私がチベット僧だった転生の体験と、いま目の前で起こっている現実とが重なり合う感覚を私は感じていた。私は胸の奥に憧憬のようなものを感じた。私がかつてから追い求めていた光景―マスターから承認を受け、新しい領域へと旅立つ許可をもらうこと、がまさにいま目の前にあるのだった。その認識に私が開かれた時、ケイシーの声も元のものではなくなり、チベット僧のマスターそのものの声となった。その声は、低く、しゃがれていた。しかし深い確信に満ちたエネルギーがそこにはあった。
「これから世界は変わる。すべての人が魂のテーマに開かれ、外側の適応から、内側の個性化への道を歩むようになるだろう。世界は多様性に開かれ、互いの魂の光を認め合うこととなる。全ての人が仏—なれる最高の自分を生きる世界へと開かれていく。しかし同時にその変容を拒む動きも強くなる。そのときに必要となるのは、多次元宇宙全体は不可分の全体性である、というより深い認識だ。これまでの科学は分断を進めることで、宇宙への理解を深めようとしてきた。しかしそのアプローチでは、宇宙の本質にたどり着くことはできない。宇宙全体の不可分の相互関連性が根本的な現実である、という理解に立つ新しい科学が主流となる。そしてエネルギーの周波数への理解を応用し、内面性を外面性とつなぐためのテクノロジーが使われるようになる。そしていまその理解とテクノロジーを再びこの地球で開くために、先駆けてその体験をする魂を私たちは必要としている」。
ケイシーだったはずのチベット僧は、ゆっくりと言葉を選びながら、同時にとても素早く私に必要な情報を共有した。言葉と同時に、私は強いプレッシャーを感じた。身体の前面に固く強い重さを覚え、私は硬直した。私の硬直を見抜き、チベット僧は言葉を止め、じっと私を観察した。
そして大きく息を吸い、私に伝えた。
「お前にいまからスターツアーズに出かけてもらう。私たちの間で、この旅に集うメンバーを決定した。お前もその一員となっている。明日、体外離脱にて天橋立にある宇宙ゲートへ行きなさい。そこにお前と同じ6人のメンバーがいる。今回のツアーの参加者だ。そのメンバーと共に、恒星を移動するためのゲートを用いて、今回招かれている北斗七星へと向かいなさい。あとのことはいけばわかる」。
もはや目の前の存在はケイシーではなかった。ケイシーはやさしく私に教え、何かを強制したりはしない。それがガイドの役割だと彼女自身も話していた。
その理解に立った瞬間、ケイシーがチベット僧の背後に現れた。彼女はいたずらっぽくウィンクする。

「一つ付け加えておく」とチベット僧のマスターは言った。
「霊的傲慢さに一度落ちた人間は、そこから回復するまでに10転生を要する。お前がそうならないことを願う」。
身体の前面に感じていた硬直が、まるで雪崩のように崩壊した。そして私のエーテル体にある、劣等感や承認を求める幼少期の記憶の束から、恥のオーラが溢れた。
そのオーラは若い草木を絞ったような、苦く青臭い匂いを周囲に放った。
お前は選ばれた人間だ、というメッセージは私にとって、何よりも欲しいものであると同時に麻薬のようなものだった。自分自身が選ばれた人間だと思った瞬間、人は周囲と自分を切り離し、霊的傲慢さに落ちる。マスターの言葉の印象から、私がかつてその言葉の罠によって、霊的傲慢さに落ちた転生の記憶と、そのエネルギーがやってきた。
それはいまの状況と酷似していた。チベット僧である私。そして目の前のマスターからのお前は選ばれた人間なのだ、という言葉。この言葉をどのように受け取るのか。それはひとつの試験であり、イニシエーションなのだ。以前、私はこの段階で、自分は選ばれた人間なのだという霊的傲慢さに落ち、そしてその先へ進むことができなかった。
眠っていた牛が冷水をあびせられたかのように、それらの気づきがやってきた。

ケイシーが「それでいいの」と言う。
「以前から伝えているように上に行けば行くほど、あなたの内面はそのまま反映されていくの。マスターの言動もある意味では、あなたの心の現れが反映されていることを忘れてはいけないの。マスターは心の核の反映なの。だからこそ、あなたはここから先、もっと精妙に自己認識する必要があるのね」。
マスターは先ほどと同じように、背を伸ばし、座っていた。

かつてこの領域で出会ったエレメンタル存在のことを私は思い出した。マスターという存在もある意味では、同じなのかもしれない、と私は思った。この世界の真実は、内面と外面はつながり合っているということだ。そうであるとすれば、エレメンタル存在も、マスター存在も自分のより精妙な領域の現れなのだ。もちろんマスターはそこに実在していた。しかしマスターとのコミュニケーションや、そこからのメッセージはすべて自分の内面性が反映されるのだ。

「いまマスターが伝えてくれたように、あなたはこれからスターツアーズに参加するのね。けれどいまの気づきを決して忘れてはいけないの。この世界のすべての表れはエネルギーの周波数に過ぎないの。あなたはこれから地球の外へ向かうようなエネルギーの周波数になっているというだけなの。そこには優劣はないの。他の魂よりあなたは優れているわけではないの。むしろあなたには多くの傷があるの。だからこそこうして意識の各レベルを統合していく役割があるのね」
地球の外への旅への許可は、私にとって大きな承認であり、何かの段階に自分が到達したかのように感じられた。しかしここでケイシーとマスターによって示されたのは、より深く自分を知れということだった。そしてまたマスターとはより深く自分と向き合い続けている存在のことであり、そのありように心からの敬意を感じた。

翌日、私は、指示通りに、体外離脱をし、天橋立に向かった。以前にここは何度も来たことがあった。
私にとってここは「リラックスできる空港」のような施設に感じられた。多種多様な魂たちがここにはいた。そしてセルフイメージがこの地球由来のものではない魂もいた。まるで映画スターウォーズの酒場のように、爬虫類、昆虫的な存在、あるいは精霊系、エレメント系までもがそこにはいた。
私はこの場所で、地球のロゴスにおける2万6000年周期の転生のシステムや、魂がどのようにツインソウルを組むのかといったことを以前にケイシーから教わっていた。しかしこの場所から、他の領域へ旅立つことは未経験だった。
そして私は名前を呼ばれた。私を呼んだ存在は地球生まれの存在であり、いわば宇宙間の空港の監視官のような役割を担っていた。その眼光は鷲のようにするどく、私を見抜いた。はじめてケイシーにこうして見抜かれたことを思い出したが、この監視官のそれとは比べものにならなかった。
彼は、その眼力の向こうで、私の地球上でのすべての経験とそこで私が行った内面的な反応と、心理的な選択のすべてを一瞬にしてスキャンした。
そしてふんと鼻を鳴らし、私についてくるように指示した。漆黒のドーム型の天井のホールへと監視官と私は入った。そこにはすでに他5名のメンバーが集っていた。皆、私と同じ立場であるらしく、10代後半から20代前半のセルフイメージを持っていた(そのとき私は25歳だった)。
説明の時間はほとんどなかった。監視官は、6人で円形の隊列を組み、第三の非物理次元の身体をイメージするように伝えた。そしてこの6名にて一つの宇宙間の乗り物を形成することができると彼は言った。しかしそのときに、同一のシンボルを保つことがなければ、船は機能しないと説明した。
そこで監視官はあるシンボルを私たちに伝え、そのイメージに私たちは集中した。すると漆黒のドーム型の天井の頂点から、光が差した。そこへ向かうように、あとはワームホールがあなた達を運んでくれると短く監視官は伝えた。
私たちはシンボルを内面で保持しながら、天井の頂点へと向かった。
その次の瞬間、私たちはワームホールへと入った。

光のトンネルを通り抜ける。

音はない。むしろ圧倒的な静けさだ。

私の身体は「情報」になっている。

情報である私は光より早く移動している。

情報こそ、非物理的な身体そのものなのだと私は発見する。

そしてこの状態での移動には、音が伴わないのだとまた気づく。

そしてこの「スターツアーズ」を共にしているメンバーの様子を見る。

私たちは北斗七星の領域へと辿り着こうとしていた。

 

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     〔2〕最新スクール情報
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【募集中】アカシック【エキスパート】コース
《オンライン》2025年11月29日(土)開講

本コースは、アカシックレコードリーディング・ガイドのスキルを向上し、あらゆる領域で活用するためのコースです。またアカシックレコードの全体像を理論的に理解し、より詳細な情報を扱っていきます。
アカシックをスピリチュアルと呼ばれる領域だけではなく、科学・量子力学・ユング心理学といった観点を取り入れながら深めていくために、コース生は多角的かつ、実用的な領域でアカシックを活用することを可能とします。

そしてまた個性化の傾向性を、身体症状や自分自身が住う環境、アカシックグリッドといった観点から深めていくという独自の方法を行い、「なれる最高の自分」を本質的に生きるためのクラスといえるでしょう。
非常に幅広いワークを取り扱い、受講者のアカシックの可能性を大幅にひろげてゆきます。

【募集開始】アカシック【エキスパート】コース《オンライン》2025年11月29日(土)開講

 

【募集中】スピリチュアリズム探求クラス Plus
《オンライン》2025年12月6日(土)開講

私たちがここで提供するスクールは、特定の教えや信念体系のなかに皆さんを閉じ込めるものではなく、世界中のスピリチュアリティの体系や五感を超えた体験をとおして、あらゆるとらわれから自由にするために存在しています。
スピリチュアリティ(精神性・霊性・五感を超えた知覚)を探究し、開発することは、人間の自然な欲求です。私たちは誰もが本質的な自由を求める存在だからです。

時代はすでに移り変わっています。誰もが五感を超えた知覚を開発し、物理的現実を超えた世界を体験することが当たり前になる時代へと入りました。万人にひらかれたスピリチュアリティの探究を、本質的かつ信頼おける方法で提供できる場が、いままさに世界中で必要とされています。その確信を私たちのビジョンとし、ブッダスクール「スピリチュアリズム探究クラス」を提供します。

【募集開始】スピリチュアリズム探求クラス Plus 2025年12月6日(土)開講

 

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        〔3〕編集後記
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もう何ヶ月もの間、わたしは心の底で静かに沈んでいました。
もちろん、そんな状況を打破すべく今まで学んできたメソッドも、ノウハウも、脳科学的アプローチも、身体的ワークも、神経系の調整も、スピリチュアルな方法も、思いつく限りのことを、全部、全部試してみました。

それでも心はつらく、さみしく、ただただなにも変わらない日々。
そんなときふっと浮かんだのが、ブッダスクールで出会ったサポーター仲間のNちゃんの顔でした。

誰にも話したくない。
話せる気がしない。
そんな深い場所に落ちた本音を、なぜかNちゃんにだけはわかってもらえると、そう感じたのです。

久しぶりに勇気を出して連絡し、Zoomの向こうにいるNちゃんの顔を見たら、これまで頭の中に整理してきた言葉はなくなって、正直自分がどんな話をしたのかも記憶があいまいなくらいでした。
わたしの支離滅裂な話に、彼女はじっと耳をすませてくれていました。

その間、Nちゃんは特別なことをしたわけではありません。気の利いた言葉を言ったわけでも、明確なアドバイスをくれたわけでもない。

ただ、そこにいてくれた。
ただ、聴いてくれた。
ただ、受け止めてくれた。

その「ただ、いる。ただ、共に感じる。」という在り方の前で、わたしの中に固く固まっていた何かが、ゆっくりと溶け、流れはじめたのがわかりました。

そしてもっとあとになって気づいたことがありました。それは「わたしは、共感をなめていた」ということ。
共感なんて誰にでもできる。
「わかるよ」と言われても、何も変わらない。変わるためには、もっと確かな“なにか”を差し出すべきだ。

ずっと、そう思っていました。
でも、違ったのです。

あの日を境に、わたしは不思議と元気を取り戻していました。それは、勢いよく立ち上がるような元気ではなく、海の上をぷかぷかと浮かんでいるような、表情まで“ぽかん”としてしまうような、そんなやわらかい元気でした。

共感とは、相手を変えることでも、元気づけることでもなくて。その人が“その人のまま”で存在できる、静かで、あたたかいなにかでした。
それに身を置くと、人は自然に、自分自身の中にある本当の声に触れはじめる。そして、ただその声に触れただけで、人は自然に回復し、ちょうどいい頃合いの自分に帰っていく。

なんていいつつ、わたしにもまだよくわかっていません 笑。
それでも、わたしが共感についても、なにに関してもなんにもわかっていなかったんだな!ということがよくわかりました。

知ったふうになっていて、わかったふうになっていて、ちっともそうでなかったこと。大切ななにかに触れるということがどういうことなのか、その深淵さをちょっぴり垣間見せてもらった、ありがたくすてきな体験だったのでした(この場を借りてNちゃんありがとう!)。

今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!

文責:さめじまみお

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