神々との交流のポイント 鹿島神宮と夏至のレイライン
夏至近くの鹿島神宮へ参詣してきました。
今回は私自身のワークも兼ねていたので、夜明け前から鹿島神宮の森の中に入り、午前中いっぱいをかけてこの土地に住う神々との交流の時間をとってきました。
私は仏教の僧侶なのですが、もちろん神社にもいきますし、エジプトの神々、バリの神々とも交流をとってきました。
たまに参加者の方から、お坊さんなのに他の神様にも信仰を持つんですかと聞かれますが、もちろんです。
だって人間は勝手に形をつけて、区別をしようとするけれど、神々や精霊には「宗教」なんていう形はないですから。
この物理次元だけで物事をとらえようとするとそうなりがちです。
鉱物、植物、動物、人間、天使、惑星、恒星。
それぞれのレベルにそれぞれの世界があり、存在がいます。
そして物理次元はかっちりしているように見えますが、実際はそうではありません。
これらの層はすべて重なり合い存在しており、別々にあるわけではないのです。
まるでミルフィーユみたいに。
そしてひとつの層に意識のフォーカスを当てることで、意識はその世界へと入り込むことができる。
寺院神社神殿などはそのために使われた場所としてとらえることができます。
またそれらの場所は、人間との協定をむすんでる存在がいます。
私にとって寺院神社神殿とは、外的な権威で参詣する場所ではなく、これらの存在との交流をとり、こちらの意図と相手の意図を合わせるための時間をとる場所です。
日本の神社の多くは古くからの森や巨大な岩などがあり、それが信仰と対象となり、神として祀られていることがあります。
こういった場所で神々と交流するためにはあるコツがあります。
それは「時間の感覚を変えること」。
それぞれの世界では、流れている時間の感覚が異なるのです。
巨木には巨木の時間があり、岩には岩の時間がある。
まずその時間の感覚に入ることです。
そしてまた通常の思考や思いつきなどは人間的なスピードで回っているものです。
その下に流れる「ゆっくりとした流れ」に意識のフォーカスを合わせる。
もしその感覚を掴むことができたら、これらの場所で神々との交流を得ることは可能です。
今回の鹿島神宮も、その例にあてはまり、まずこの森そのものが神社の正体であることがわかります。
たとえば屋久島にも代表される森の巨木たちはある種のメッセンジャーの役割を担っており、その領域にフォーカスをあわせる人間には、かなり明確なメッセージを伝えてくれます。
この森も同じく、意識のフォーカスをあわせることで、非常に明確にこの土地の役割や、ここで行われるべきエネルギーの動きとは何かを伝えてくれます。
またこういった場所にはかならず中心的な存在がいる場所がある。
しかしそれは一般に公開されている場所では無いことが多いのです。
この鹿島神宮もそのようなつくりになっています。
人間は何かしらの建物を立て、そこに形式を使わねば安心ができないので、神社の本殿、あるいは本堂などを拝みます。
しかし大抵の場合、それらの建物はその場所の中心的存在がいるところからすこしずれたところに建てられています。
つまり建物はある種のおとりであり、そこそのものはたしかに人間の形としては必要なものですが、そこは土地のエネルギーの中心的な場所では無いことが多いのです。
そして内部の人はそのことをきちんと理解しています。
鹿島神宮の場合は、本殿の周囲に結界がはられているのですが、その結界の中心部分に、巨木が立ち並ぶポイントがあり、この場所がエネルギーの中心ポイントです。
この場所には立ち入ることはできませんが、見ることはできます。
そして見ることができると意識を合わせやすい。
鹿島神宮、伊勢神宮の森はよく似ています。
鹿島神宮は伊勢神宮とならぶ神社とされていますが、その意味が森とのネットワークを通じることで非常によく理解できます。
そしてこのふたつの寺院が、夏至のレイラインで結ばれていることの意味もよくわかる。
いま日本は外的にはかなり追い込まれていますが、内的には新しいエネルギーをこれから爆発させていこうというポイントにあります。
この鹿島神宮は「すべてのはじまりの神社」とも呼ばれています。
伊勢が統合し、抑えをきかせるエネルギーだとすれば、ここは新しい進化のために打って出るためのエネルギーの場所。
夏至に立ち昇る太陽の力をここから取り入れ、森のネットワークを通じ、皇居、明治神宮、富士山、伊勢へと貫通させる。
日本の集合意識の古代領域と、いまを生きる領域をつなげる。
その働きがここにはあります。
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