
その人が、その人自身になっていく、というプロセスは微かな呼び声から始まる
その人が、その人自身になっていく、というプロセスは非常に興味深い。
最初は誰しも、他者への憧れから、他者を真似、自分ではない何かになろうとする。
けれどそれには限界がある。
どんなにテクニックを身につけ、他者がやっていることを掘り下げ、その心やビジョンに自分を重ねようとも、どこかで壁にぶち当たる。
何かが違う。
そして自分が何者なのかわからなくなり、そもそも何をしたかったのかすらわからなくなる。
しかし自分のなかにある何かに動かされ、あるいはまったく偶然に見える必然に促され、その瞬間へたどり着く。
それはずっと追い求めてきた何かに触れた瞬間だ。
最初はそれはとても微かなものだ。
天使の羽が、霧雨の一滴が落ちたみたいに。
けれどあなたにはそれがわかる。
いま確かに何ががふれたのだと。
言葉では説明ができない。
そして誰かに伝えようとしては失敗する。
しかしあなたにはわかるのだ。
それが自分がずっと追い求めてきたものであり、そこにこそ自分自身のほんとうの命があるということが。
そしてその微かさに対して、自分が開かれるようになる。
求めているものは、外にある大きなものではなく、この微かな導きの呼び声のなかにあるのだというはっきりとした自覚が生まれる。
そして微かな導きをとても丁寧に、慎重に辿っていく術をあなたは身につけてく。
その道はやがて、あなた自身をまったく別の場所へと連れていく。
そこは以前の自分には想像もつかなかった場所だ。
以前の自分にはわからなかったけれど、この場所こそが、自分が求めていた場所であり
その場所が自分を呼んでいたからこそ、外側のものにはなる必要がなかったのだ、ということにあなたは思う。
そのときあなたは、自分を呼んでいたものと、呼ばれていた自分が、ひとつに重なる感覚のなかにいる。
「わたしはわたしなのだ」
という確信が自分を貫く。
そしてまた迷った道程のすべてが、必要なものだったのだと気がつく。
あなたはもう外のものなろうとはしなくなる。
外側の強い言葉に導かれることはなくなる。
微かな導きは、常に自分の中にあり、その導きと共にあるとき、目の前のこの場所こそが、あなたがたどり着くべき場所だったということを知っているのだから。
そして微かな導きこそが、自分自身の魂からの呼びかけなのだと知っているのだから。
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