仏に恋をする
仏に恋をする。
一度、仏に出会った人は、寝ても覚めても仏のことを思い、恋焦がれてしまい
「仏とずっと一緒にいられるなら、この命なんかまったく惜しくない」
という状態になる、という描写が法華経のなかにあるのです。
仏に恋をする。
私はこの表現がとても好きです。
「ほとけ」とは、「ほどけ」から来ているとする説があります。
普段はいろんなものでがんじがらめになっている私たち。
けれど何かの拍子で、それらがほどかれたときに、自らの本質である空なる光が溢れ出る。
その空なる輝きである仏に一度でも触れた人は、その体験から絶対に離れることができない。
何億円積まれても、絶世の美女に出会っても、不死身の体を貰ったとしても、絶対的な権力を得たとしても。
自らの仏に出会い、それそのものを生きることに比べたら、毛の先ほどの価値もない。
この感覚が私は好きです。
仏に恋をした人。
その人は
自らの内側にある仏に出会うこと
相手の内側にある仏に出会うこと
それだけを考えて生きている人です。
僧侶という人種は、仏に恋をしてしまった人のことだと私は考えています。
そしてきっと「本当の自分を生きたい」と、心から願う人は、同じように「仏に恋をしている」人なのでしょう。
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