
【ブッダスクール通信vol.71】「はざま人間」
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
梅雨入りしましたね。
「晴耕雨読」という言葉をモットーとしているわたしは、雨の日それすなわち、読書の日!という感じです。
最近ふと手に取った1冊の本が、思いがけず心にぐっと触れてきたので、今回はそのお話しを。
その本の著者は、いわゆる「億り人」。
投資で資産を築き、いまは引きこもりライフを満喫している方でした。
ですが、その人はいわゆる「超」がつくほどの内向型で、とても外の世界で働ける気がしない!という一心から、独学で投資を学び、超・保守的な運用で、静かな暮らしを実現させているというのです。
いろんな原動力があるんだなあ、なんて思いながら、ページをめくるうちに、わたしの心をふいに揺らしたのは、こんなエピソードでした。
と、お話のつづきは、また編集後記にてつづらせていただくとして……。
お待ちかねの、つうりさん特別コラムにさっそくいってみましょう。
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「はざま人間」
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私は自分のことを「はざま人間」だと考えている。
子どもの頃から、どこか外側の場所が「自分の居場所だ」と確信したことは一度もない。
家、学校、仕事、社会、コミュニティ。
人は皆、それらに属することで、自分のアイデンティティを作り上げていく。
もちろん、私もそれらに属してはいる。
けれど、「ああ、ここが自分の居場所なのだ」と心から思ったことはない。
そして、どの場所に行っても違和感を覚える。
その違和感とは、「人はそれぞれの場所や環境の一部であることに、何の疑問も抱いていない」という感覚だ。
家、学校、仕事、社会、コミュニティの一員であるという自分を、当然のように受け入れ、「自分は異なるのだ」という思いを抱いていない、あの感じ。
そこに、私は共感しづらさを感じるのだ。
また、私はどの役割にも「しっくりこない」感覚がある。
もういい歳なので、私はいくつもの役割を持っている。
寺の住職、会社の経営者、地域のコミュニティの役職、家庭における夫、父親。
けれど私は、それらの「外側の殻」を通過していく「何か」であって、それ自体が私そのものだと感じたことは、まったくない。
だからこそ、セッションなどで「私の天職・使命は何ですか?」と聞かれ、それが「外的な役割」だと認識されている場合、コミュニケーションがうまくいかないことがある。
私は今、肩書きを「僧侶・アカシックリーダー」としている。
けれど、僧侶たちの集まりに行くと「私は僧侶ではない」と感じる。
私がとらえている僧侶の在り方と、社会で僧侶に求められているものとの間に、大きなギャップがあるからだ。
同じように、スピリチュアルな人々の集まりに行くと「私はスピリチュアルな人間ではない」と感じる。
私が求めてきたスピリチュアリティと、それを求める人たちとのあいだにも、大きなギャップがあるから。
ひょっとしたら、私のアイデンティティは「僧侶・アカシックリーダー」の間にある「・」の中にあるのかもしれない。
あちらでもなく、こちらでもない。
けれど、あちらでもあり、こちらでもある。
どちらも含んでいるけれど、どちらでもない場所。
その「はざま」が、私なのだ。
こういった傾向に当てはまり得る人格傾向や精神状態として、以下のものがある。
◎当てはまり得る心理的傾向・症状
- パーソナリティ障害
他者との親密な関係に関心を持たず社会的絆への欲求が非常に乏しい。帰属意識を持たない傾向がある。
- 回避性パーソナリティ障害
拒絶や批判への過度な恐れから社会的関係を避け、結果として帰属を断念する傾向。
- 境界性パーソナリティ障害
アイデンティティの不安定さから、一時的な帰属への渇望と拒絶が交互に現れ、持続的な帰属が困難。
- アタッチメント障害
幼少期に安定的な愛着が形成されなかったことによって、帰属感の形成が難しくなる。
- アイデンティティの確立の遅延または混乱
(エリクソンの発達段階理論)青年期から成人初期における課題「アイデンティティ vs 役割混乱」の未解決状態。
- アノミー状態
社会的なルールや価値観との断絶により、逸脱行動や抑うつ、自殺傾向を引き起こしやすくなる。帰属を持たない人々は、社会的な「意味」を感じられずアノミーに陥る。
もちろん私自身、これらのいくつかの傾向を持っている。
そして、それらについて長い時間をかけて自己分析し、直面し、統合してきた(その過程が、現在のスクールやワークショップの基盤となっている)。
その上で、私はこう思う。
私は、これでいいのだと。
どこにも「自分の場所」はない。
けれど、だからこそ私は動き、探し、求める。
そして、私は揺れる。
この「動き」「探し」「求め」「揺れる」こと。
何かから何かへと移行するプロセス。
人と人が出会う、その瞬間。
何かが生み出される、ほんの0.00000001秒前。
始まる前でもなく、始まった後でもない。
その「はざま」。
私の場所は、ここなのだ。
そのような理由で、私は自分のことを「はざま人間」だと理解している。
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〔2〕最新スクール情報
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【募集開始】2025夏至Special Workshop
「レムリア・宇宙の火のイニシエーション」オンライン
2025年6月20日(金)19:00ー22:00
「宇宙の火」とは、私たちの根源的な生命力を指し、レムリア時代にはこの力に目覚めるための「宇宙の火のイニシエーション」が地球にもたらされたとされています。
これは人間の意識を更新し、物質・精神・霊性の目覚めを促すものでした。
今回のワークショップは、そのレムリアのイニシエーションのインスピレーションをもとに、集合意識の浄化と解放を目的としています。
前半では、アカシックレコードから読み解く2025年7月の動向や、生活・経済に関する重要ポイントを共有し、さらにレムリア時代や西洋神秘学の視点から宇宙の火の意味を紐解いていきます。
後半は、ワークを通じて感情や可能性の力を浄化し、変容のエネルギーを未来へとつなげていく時間となります。
時代の大きな転換点に立つ今、自らの内なる力とつながり、新たな方向性を見出すことを意図しています。
https://buddha-school.jp/event/sp-workshop-20250620/
【募集中】アルケミスト中級ワークショップ《全講義オンライン形式》
2025年6月28日(土)・29日(日)13:00~17:00
このWSではアルケミスト・錬金術師の土台となる理解と、個性化のプロセス、惑星期といった内容を踏まえた上で「現実化のマジック」を習得していきます。
錬金術の体系を習得し、また各惑星期と重ね合わせることで、いまの自分自身がどんな場所にいて、何を現実化していくことを、人生が求めているのかを明らかにしていきます。
そして「現実化のマジックの5つのプロセス」の実践を通し、最終的には参加者のグループによる、強力なマジックワークを行います。
現実化のマジックの本質は、人生の質そのものの変容にあります。
もしあなたがいまの現実のなかで、生き生きとした新しい生命を取り戻し、本質的な豊かさを生きたいと願うなら、あなた自身が「アルケミスト」となることを心の奥深くで望んでいるのかもしれません。
https://buddha-school.jp/event/alchemist-ws_20250628/
【残席わずか】寺舞 ーThe Dragon Ritualー <現地開催>
2025年7月1日開催
この「寺舞ーDragon ritualー」は、2025年の7月の地球の覚醒のタイミングを間近にし、龍との接触を体験し、目覚めた意識の変容に開かれるために行われます。
このイベントでは、650年続く伝統的な寺院の本堂にて龍との接触を体験するための「ドラゴンリチュアル」を行います。
声明と歌と神楽の舞と音を効果的に用いることで、演者と参加者の壁を越え、全員で内面深くへと降りていくプロセスを共有します。
また第二部では「ドラゴンムーブメントワーク」として声明によるボイスワーク・シアターワークの導きのムーブメントワークを行います。
またこれらのリチュアルとワークを通し、龍と関わり、地球それ自体と創造の場を作り出すことを意図しています。
https://buddha-school.jp/event/dragon-ritual/
【募集中】アカシック《ベーシック》コース 全日程オンライン
2025年10⽉11日(土) 開講
この4日間のクラスでは、アカシックレコ-ドに関する基本的な概念、読み解くための方法、そして他者をリ-ディングするための実践的なテクニックを習得することができます。
そして、ただ単にクラスを受講したというだけではなく、この4日間を終了することによって、恒久的な変化があなたに訪れることでしょう。
そのことによって、あなたはアカシックレコ-ドという存在が、あなた自身と密接に関連しており、仕事、人間関係、健康などのとらえ方に大きな変化が起こることを体感することでしょう。
https://buddha-school.jp/event/akashicbasic20251011/
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〔3〕編集後記
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そのエピソードとは、簡単に書くとこんな内容でした。
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100円ショップで、ハサミを買おうとした著者。
最初に手に取ったのは、気に入らない色のハサミ。
あとから「やっぱりこっちの色が好きだな」と思っても、カゴの中のものを取り替える勇気が出なかったのだそうです。
理由は、「万引きと疑われたらどうしよう」という不安。
棚の前で、ハサミをがさごそやっている自分が、疑いの目でだれかに見られているのではないかという不安。
そしてそのまま、妥協したハサミを買って帰り、ひとり、しょんぼりと呟くのです。
「40過ぎて、好きなハサミも買えないとは……。」
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これだけ読むと暗くしょんぼりなエピソードですが、実際の本の中ではコミカルなマンガとともに描かれていて、どれも笑ってしまうものばかり。
なのですが、
……わたし、それを読んで、泣けてしまったんですよね。
自分でも意外でした。
たぶんそれは、「わたしがずっと見ないようしていたわたし」がそこにいたからなのだと思います。
ああ、わたし、ほんとは内向型だったんだよなあ……。
ずっとそうやって人目をいつでも気にしながら、生きていたよなあ。
でもそれじゃあカッコ悪いし、なめられたり、見下されたりして損だし、仕事にもつながらないし人気者にだってなれない。
「人目?気にしたことないけど?」
みたいな堂々とした態度のほうがぜったいにすてきだ。
気にするから、できない、のではなく、気にしてないから、できる、のではなく、気にしないふりをして、できるふりをする。
というのを、長く長くやってきていた、正真正銘の内向型だわ、私。
って、はじめて「真正面から」思えたのです。
ハサミひとつ、選び直せずにすごすごと持ち帰るような、前を歩く人の舌打ちが聞こえただけで、「あ、今のわたしのせいかな」って反射的に思うような、電車の中で乱暴にぶつかられるだけで、その場でほんとうはしくしくと泣き出してしまいたくなるような、そんな自分なんだよなあって。
数々のへたれ・しょんぼりエピソードに、なんだかわたしの片側の半身のほうにも、温かい血がめぐっていくような感覚を感じたのでした。
今日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
文責:さめじまみお
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