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この世界にはまだ歌われていない歌がある。
その歌はきっと歌われることを待っている。

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ふたつの世界とふたりの自分【ブッダスクール通信vol.82】

みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。

さていよいよ12月がスタートしましたね。
空気もきりりと冷え込んで、冬本番という気配です。

そんな移りゆく気配のなかで、先日、ちょっと心に残る出来事がありました。
ずっとnoteに書きためていた文章を、ZINEという小さな冊子にまとめ、文学フリマというイベントに出店した際の出来事です。

手探りで「本をつくる」という工程の中で、どうしても組版だけはできなくて、プロの力を借りました。
ネットの海で出会った組版デザイナーさん。
その方が驚くほど丁寧に、深く寄り添いながらサポートしてくださり、無事に本が完成しました。

そしてなんと、彼女も同じ文学フリマに出店するというので、ブースに会いに来てくれたのです。
サポートの手練れぶりに勝手に同世代だと思っていたら、なんと彼女は20代。娘といっていいほどの若さの、すてきな女性でした。

お礼に出向いた彼女のブースにもやっぱり、日記のZINEが並んでいました。
記念に購入して読んでみると、その言葉、その世界は、ものすごくわたしのよく知っているものだったのです。

この続きは、編集後記にてゆっくり書かせていただきますね。

さて、お待ちかね。ここでしか読めない、つうりさん特別コラムをどうぞ!

 

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    〔1〕齊藤つうり特別コラム
   「ふたつの世界とふたりの自分」 
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先日、八ヶ岳にて「ソウルトラベルプログラム」のリトリートが開催された。
このプログラムは体外離脱に的を絞った内容で、35日間のプログラムと共に、現地八ヶ岳の山荘にて3日間すごした。
山荘では講義の時間とワークの時間があり、プログラムの中で、夢と体外離脱の体験の違いを明確にするため、その特徴を私はホワイトボードに書いた。

体外離脱と夢との違いには以下のような特徴がある。
・明晰な覚醒状態が持続
・体験中に、知的、感情的な判断を下せる
・内的五感の知覚
・同一のパターンの繰り返しがない
・時間の経過と共に出来事が展開する

夢の中で私たちの意識は明晰ではないことが多い。また状況そのものに流されやすく、自覚的に何かを選択したりできず、時系列が前後したり、何かの場面や言動が繰り返されたりすることがある。

しかし体外離脱の体験はそういった「曖昧さ」とは完全に一線を画していることが特徴だ。
体外離脱中は、ほとんどの場合、遥かにクリアな五感が冴え渡り、そこで起こる出来事は現実のそれよりも「リアル」である。
私がこの内容を話したその時に、参加者の一人の男性が「これこそ以前に私が体験したものだ!」と言い、自分の体験談を語ってくれた。

以前にIさんは歯の治療のために歯科医を受診した。しかしその際に、医師のミスで、歯を削るためのドリルが落下し、そのドリルはIさんの舌に穴を開けた。血が吹き出し、Iさんは緊急搬送された。そのあたりからIさんの記憶は、もう一つの時空へと移動する。しかしそれは後日確認されたものであって、Iさん自身の意識は連続した「リアル」を体験していた。

―Iさんの体験―
Iさんの舌のダメージは深刻であった。意識は朦朧とし、病室の天井が歪み、あの世に連れて行かれるような感覚を体験した。家族は死期が迫るIさんを必死で看病してくれた。危篤に近い状態で、医療的判断として安楽死の可能性すら視野に入れられた。
その病院は独自の信念に基づいた治療をしているため、インド人による祈りとヒーリングの時間があった。彼らの懸命な祈りは、Iさんの怪我を癒し、症状は回復へ向かった。
Iさんにとって、その病院での現実は彼にとって何の疑いもなく「リアル」そのものだった。たしかに病院の方針は他ではみられないものではあったが、回復へと向かっていることもあり、Iさんはその治療を受け入れた。こうした日々がしばらく続いた。

ある時、唐突にIさんは別の病院で眼を覚ました。そこは今まで自分がいた病院とは別の病院であった。Iさんは混乱した。状況の説明を聞くと、Iさんは事故から意識を失っており、いま意識を取り戻したとのことだった。そして怪我による損傷は、Iさんが「もうひとつの病院」で告げられたほどの重症ではなかった。そして家族に確認したところ、当時はコロナ禍だったために、家族は見舞いには来ていないという。

今まで見ていた現実は何だったのか?
Iさんは強烈な違和感を覚えた。
ではあれは夢だったのだろうか?

しかし、そう片付けてしまうには無理があった。「もうひとつの病院」で見聞きしたことが、こちらの現実と重なっていたのだ。
たとえば、向こうの世界で妹から妊娠の報告を受けた。目を覚ました後に、妊娠おめでとう、と伝えると、「何を言っているの?」という反応が帰ってきた。しかしその数月後に妹は実際に妊娠した。
つまり「もうひとつの病院」での出来事は、こちらの現実とまったく違っているわけではなく、どこかでリンクしていたのだ。

このふたつの世界を行き来した体験は「個別の時空のパッケージ」として、Iさんの心の特殊な場所に保存されることになった。
そしてIさんは「自分は一度死んだのだ」と思った。
Iさんの生き方と価値観はこの出来事を境にまったく別の領域へと移行した。

 

さて。
ここで場面はリトリート当日に戻る。

Iさんは少し興奮した様子で、自分の体験がここで結びつくことになるとは思わなかったと言った。そしてなぜ自分がこれまでスクールでのコンテンツに興味を持っていたのかがようやくわかったと気づきを得た様子だった。

体外離脱にはいくつかの段階がある。
エーテル体の体外離脱は、自分の体を上から見下ろす、部屋のなかを動き回るといった体験だ。エーテル体は物理的身体と近しい関係にある。そのため自由度は低く、このレベルの体外離脱とは「気持ちが悪い」体験となることが多い。
次のアストラル体の体外離脱では、空へと身体感覚が飛び出した感覚と同時に、クリアな五感と共に、霊視やテレパシーといったサイキック的な能力が発動する。またこのアストラル体の体外離脱こそが、いわゆる「ほんとうの体外離脱」ということになる。
そしてこのアストラル体の体外離脱よりひとつ先に、「臨死体験」と重なる体外離脱がある。

それは「もう一つの世界にいる自分自身に目覚める」という体験でもある。

死と聞くと、物理的現実のみにフォーカスが当たった人は「すべてが消えること」。あるいはスピリチュアルな視野を持つ人は「光に溶けていくこと」という印象を持つかもしれない。

けれど僧侶である私からすると「死とは物理的な現実に当たっていた意識のフォーカスが、別の現実へと移動すること」だと考えられる。
物理的な肉体を損傷したからといって、そんなに早く私たちの意識は霧散しない。それは虫が良すぎる話だ。

私たちがアイデンティティを置く物理次元は、一つ上のアストラル次元から降りてきた「計画」によって成り立っている。
そしてその計画を立てているのは、どこかの素晴らしいマスター存在ではなく、もう一人のあなた自身なのだ。

Iさんは物理的な肉体が失血による損傷を受け、脳のチューニングが一時的に破綻した。
その結果、もう一つ上の領域の自分自身へのチューニングが回復し、そこでの自分を体験したのだ。

ひょっとしたら、この話は雲をつかむような話に聞こえるかもしれない。
けれど体外離脱を意識的に得た経験がある人たちにとっては、この話は何も不思議なものではないはずだ。

私たち人間の本質は意識の連続体であり、物理的な肉体はその連続性のひとつなのだ。そしてアストラル、メンタル、コーザル、アートマ、ブッディとそれぞれの領域に私たちは別の意識の投影体を持つ、多層な存在なのだ。

Iさんは、まさに「ふたつの世界とふたりの自分」を体験したのだ。

 

そしてこの話はここでは終わらない。
この話を聞いていた参加者のOさんは、Iさんの話が終わったのちに、何かとてつもない秘密を打ち明けるかのような表情で次の話をした。

Oさんは医師である。クリニックを開業し、日々診療をしている。

―Oさんの夢―
そのOさんはこのリトリートに来る前日に夢を見た。
Oさんは手術をしていた。その横のオペ室で後輩である医師が別の手術をしていた。突然、隣の部屋から困惑の声が響いた。Oさんの後輩の医師がやってきて、手術のミスで患者が失血状態にあるから、ヘルプしてくれと言った。Oさんは自分の手術もあるし、困ったなと思った。

これがOさんの夢の内容だ。Oさんは、なぜこのような夢を見たのか理解できなかったが、Iさんの話を前にして、何かがつながったように感じた、と言った。

もちろんこの現実で捉えれば、ただの偶然ということになるだろう。
私たちがいるこの一つ下の次元から、上の次元を推察することは、地下にいるネズミが、マンホールの穴を通して、人間の世界を推察するようなものだ。
すべてを理解することは到底できない。

けれどこのような「心の深度」が非常に深い状態で起こるシンクロには、言葉にできない「神聖さ」がある。

上の次元で、手術による失血のトラブルで、特別な治療を受けたIさん。
手術中の失血のトラブルにより、ヘルプを求められたOさん。

間違いなく言えるのは、二人はもう一つの世界で何らかのつながりがあり、ここで出会っているということだ(IさんとOさんは初対面であった)。

初めて出会った人なのに、初めてではない気がしたとき。

初めてやったことなのに、なぜか知っている気がしたとき。

初めていった場所なのに、なぜか馴染みがあるとき。

そんなときあなたは「ふたつの世界とふたりの自分」の感触を取り戻しているときなのだ。

 

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    〔2〕最新スクール情報
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<開講まであと2日!>スピリチュアリズム探求クラス Plus
2025年12月6日(土)開講

私たちがここで提供するスクールは、特定の教えや信念体系のなかに皆さんを閉じ込めるものではなく、世界中のスピリチュアリティの体系や五感を超えた体験をとおして、あらゆるとらわれから自由にするために存在しています。

スピリチュアリティ(精神性・霊性・5感を超えた知覚)を探究し、開発することは、人間の自然な欲求です。私たちは誰もが本質的な自由を求める存在だからです。
時代はすでに移り変わっています。誰もが5感を超えた知覚を開発し、物理的現実を超えた世界を体験することが当たり前になる時代へと入りました。
万人にひらかれたスピリチュアリティの探究を、本質的かつ信頼おける方法で提供できる場が、いままさに世界中で必要とされています。

その確信を私たちのビジョンとし、ブッダスクール「スピリチュアリズム探究クラス」を提供します。

【募集開始】スピリチュアリズム探求クラス Plus 2025年12月6日(土)開講

 

【開催日決定!】冬至スペシャルワークショップ

2025年12月19日(金)19:00~22:00開催

今年もやります!スクール恒例の冬至スペシャルワークショップ。
内容の詳細やお申込み方法は、近日中にHP・メルマガにてご案内いたします。
どうぞスケジュールを空けて、楽しみにお待ちくださいね。

 

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       〔3〕編集後記
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彼女の日記の中にいたのは、わたしでした。

いえ、もちろん比喩です。実際にわたしのことを書いていたわけではありません。
わたしたちは制作工程で出会うまではなんの関わりもなかったのですから。

ですが、彼女の日記を読みながら、まるで彼女の目をとおしてふたたび、かつての自分の生きていた日々がよみがえってきたのです。

そこに並んでいたのは、他者の目を意識した言葉ではなく、誰かに“価値”を届けるために装飾された言葉でもない。
「ただ、自分を生きているひとりの人間の、ひりひりする純粋さそのもの。」でした。

うまくいかないこと。眠れない夜。空腹でかじったパン。だれかのぬくもりのあった朝。琴線に触れるアートや物語に出会ったときだけ生きることを許されていたような、不確かな世界でむきだしの心で生きるしかなかった、けれども痛いくらいにリアルだったあの頃。
わたしたちが”情報の言葉”や“商業の言葉”の中でつい忘れがちな、原石のような日々の感触。

そこには、誰にも見せなくてもいい、誰かの役に立つ必要もない、ただその時の自分が呼吸するように紡いだ言葉たちがありました。

ページをめくりながら、ふと気づいたのです。

これは、あの頃のわたしが書いていた日記だ。
わたしが「ただこれだけを書きたい」と願っていた、あの原点そのものだ、と。

本づくり、そして文学フリマという特別な場での、20代の彼女の言葉の中に、“かつてのわたし”が今のわたしをじっと見つめているかのような、そんな、不思議であたたかい出来事でした。

文責:さめじまみお

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