「 1DAYリトリートIN 大山」アンケート集計
参加者のアンケートの一部を記載します。
今回は何に惹かれて参加を決めましたか?
- ブッダスクールのリトリートに参加したかった(多数)
- 大山に行ってみたかった(多数)
- つうりさんが、やる、リトリート。どこでも、ついてったと思います。
- アカシックリーディングでのワークを大山の自然の中で行うところ。
- 近い、日帰り、つうりさんや参加者に会える。
- 何よりも、生のつうりさんとご一緒出来るリトリートであることに圧倒的に惹かれました。お知らせを見た瞬間に参加を決めて、申し込みました。
- 待ちに待ったつうりさんのリトリートであること、アカシックを読んでのワークがあること、また大山にも神秘的な興味があったからです。
- 自然の中でのリトリートプログラムに興味を持った。
- 霊峰大山でリアルでに会えること。
- 今の自分のニーズと一致した内容だった為。また金額や行動量等もちょうど良さそうだと感じた為。阿夫利神社に行ってみたかったが遠いので、一人で行くには億劫だったから。一回厄除け・厄払いに行きたいと思っていたから。
- 直近で動画購入した2種類のエッセンシャルワークを視聴して、つうりさんの講座はやっぱり面白いなと思った為。 今回のリトリートが全て満たしたちょうど良い内容だと思い申し込みさせていただきました。
- 大地との繋がり、山で開催されること。 リトリート。 記事を読んですぐ申し込みました。
- 今年一年を振り返り、自分の内なる力を大山の大自然の中で感じてみたと思いました。
- つうりさんが以前大山のことを長い文書でFacebookに書かれているの読んでから、ずっと気になっていた場所でした。今回丁度用事が重なり、行けることになり嬉しかったです。
- みなさんと直接お会いしたかったのと1日近郊の気軽さ。
リトリート内容はいかがでしたか?
- よかった、楽しかった(多数)
- めっっっちゃくちゃよかった!! 特に、リーディングを持って、歩くというのが、オリジナリティ溢れててよかった。
- 素敵な便箋にしたためられたメッセージ、胸にズシンと来ました。 山道を歩いている時は、思考も働かず、静かな空間でボケーッとしていたのですが、下山した今は、「人に笑われない自分」という、つまらないアイデンティティを破壊して、感情の力を出しまくりたい!こんなもんで終われないだろ?って気持ちになっています。 ちょうど土日の弥勒力でも同じようなテーマを感じていましたし。 だからって具体的に何をしようとか浮かんでないし、今はただただ足の疲労にやられています(笑)
- リアルで会うっていいな。仲間っていいな、と痛感しました。 ブッダで、学びだけでなく、さらけ出せる仲間ができたありがたみを、最近になって感じています。
- 自分の中にある問題が明確になりました。やっぱり今はそこなんだな、という感じでした。豊かな自然の中で問題と向き合っていくのが、とても新鮮でした。
- 盛りだくさんで満足しました。
- 原生林のなかを歩くのがとても心地よくて、いつまでも歩いていたいなぁと思ったくらいです。遅刻してしまったので、瞑想するところまで時間が足りなかったのが残念でした。欲を言うと、マントラを唱えながらのようなワークがもっとあったらなお嬉しかったです。
- 私にとって近くて遠い大山、冬の登山という機会をありがとうございました。 豊かなリトリートだったなぁ、とますますじわじわしています。
- とても濃く、長い時間を過ごさせていただきました。今も 大山の気、感触が、私の内側に在ります。
- とってもよかったです。ちょうど前日夜に都内の仕事だったので、タイミングよく前乗りでき、その集合時間でも埼玉から参加することができました。(これも参加を決めた要因のひとつです)
- 見晴台までの道のりはつうりさんが言うよりきつかったですが、ワークをしながらゆっくりと原生林を歩くことで、いろいろな気付きがありました。 ここ好き!って強烈に感じるポイントがふたつくらいあって、自分の中では新鮮な感覚でした。 水分を取って体内の古い水をよく出して、本当にスッキリした1日になりました。
- 大山阿夫利神社に正式参拝できたのが良かったです。
- 緩やかな感じが良かったです。 自分のペースで動けました。
- 集合場所がケーブルカーの終点で本当に良かったです(お土産店の入り口にされてしまうと、皆のペースに合わせてあの石段を登らなければいけない事に心が折れてしまっていて、きっとリトリートどころではなかったた) 知り合いがいない中、「ぼっち上等」と思いながら参加したら、いただいたリーディングの内容にも同じような事が書いてあって面白かったです。
- ぼっち上等な素敵な方ともお知り合いになれたのもこういうリアル講座の良さだなと思いました。 大山の色々な事を解説していただいたりと、ちょうど良い感じに盛りだくさんで、参加して良かったなと思いました。
- 大人の遠足みたいで楽しかったです。リーディングがついてこのお値段は安い!と思いました。ポイントポイントでのワークやただ散策するのも、皆さんと時間を過ごすのも楽しかったです。
- 大自然の山の中からの気づきに心震えました。とても素晴らしい時間でした。 感動、喜び、楽しさが盛り沢山のとても充実し、懐かしい時間となりました。
- つうりさんからの手紙(?)を持って森を歩くというのは新鮮でぜいたくな気がした。
- 色々と考え込みやすい時期だったようで、言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。それがふっと緩んだ時、言葉にならない感情に包まれた。 道の所々で仲間と短い言葉を交わせたのもよかった。優しく雨が降ったりもしたが時間が短く感じられた。
- メッセージを読みながらの散策が特によかったです。
「森の中での瞑想」「感情の浄化・生命力の回復」などについて、何か気づきがありましたか?
- 自分の目標に気づいた
- 日頃の役割から離れ、静かな場所で頭を真っ白にすることって贅沢だな、大事だな、と。 こんなことしか書けなくてごめんなさい。 今もあたまがボーッとしてるんです(笑)
- 「森の中での瞑想」は、家で一人でやるより集中しやすくて、よかったです。チャクラの位置が内側からポカポカするのを感じました。
- 原生林の迫力に、理性はただただ圧倒されるだけでしたが体感では様々なみなぎる力を思い出していたようです。往路では怖かった崖道が帰りはほとんど怖くなくなっていました。高所恐怖症のはずなのに不思議でした。
- 先週から腰痛に始まり全身が痛くて今日も参加出来るのかという感じで、ケーブルカーに乗るまででかなり疲労困憊してしまってどうしようかと思ったぐらいなのですが、森のなかに入ると痛みから開放されたようで苦なく歩き回れたのが不思議に感じました。お陰さまで人に助けられることで流れていくよりも私自身の意思で進むことを森の神に伝えることも出来たと思います。
- 大きな力は扱える人を選ぶ 覚悟を決める 楽しく生きる事を決めたように思えます。 木を見て森を見る いろいろな視点を持つ自分だから出来る事があると思えました。
- いきなり涙が止まらない時点で浄化がすごい。 森の散策は短い道のりをゆっくり歩く、というシンプルでなかなかない時間、とてもいい時間です。 出家 という極端なイメージが濃く出てきまして、 ほんとに出家するわけではないですが〜、 山の愛をすんごく感じて よくわからない覚悟みたいのをしたみたいです。
- つうり講師から頂いた「私の瞑想の課題」を手に、森に入りました。森は、ただ在るだけ。大きな大きな存在の力で、私をくるんで、私をも森の一部にしてくれました。
- 私は、私という個だけの存在ではなく、地球の流れの中の、人類の流れの中の1つ。そして、流れそのものでもあるのだと思えました。そうしたら、何をやっても、何を歌っても 流れの中では同じ。 言葉で説明する必要もないのだと。 この感触が、つうり講師から頂いた課題「あなたはこの森のなかで、誰からも理解されることをまったく望んでいないと、気づかなければなりません」に繋がるのだと思いました。 存在の力を思い出し、生きる力を回復するための旅でした。
- なんか細かいことはどうでもいいなぁ、自分でコントロールしなきゃなんて土台無理な話だなぁ、自然の叡智にお任せしてその力を感じよう、と思いました。
- 自然の中で五行の働きに思いを巡らせることでパワーを頂けた気がします。こういった間隔を定期的に取り戻す時間が必要だと感じました。特に原生林というのが良かったです。
- 地形がどうであれ、しっかり根付いた木々は逞しく上を向いている。地上に現れている一本一本の木々は只々”.生きる” 地下は実に多面的で、石を抱えてるもの、他の木と根が触れ合ってるもの。1本一本は”個”であり”全体的” 森の中の一部を担っていて、森は巨大な木の一部を担う。 人も根っこが触れあって、互いに気配を感じている。 やはり木々もアカシックなのだと体感し、時間の流れが滔々と流れる川を感じました。 やはり水脈の強い場は山の力が半端ないと思いました。
- 原生林と植林では全く趣が異なるんだなという事や、木にもエネルギーがあるんだなと至極当たり前の事に初めて気がつけました。 また、リトリート後から家鳴りが治ったので参加した目的が叶ってよかったです。
- 瞑想は途中参加したので、あまり細かな作業がわからなかったです。チャクラに作用していたんだろうなぁくらいで。もしも可能であればでいいのですが、何をしていたのかマントラやムドラを知りたいです。
- つうりさんのアカシックリーディングを読んでただただ涙が溢れました。「子は、自分自身を失うことはない」 母なるものは、大地であり、岩であり風であり水であり。子としてみえた木々が、突き破り成熟していく様を「覚悟あるのか?」と言わんばかりに厳しく見守り、優しく支える姿。うねる根は生命力にみなぎっている。そして葉が落ち散り、大地へかえり、栄養となり、またいつか子も母になっていく。不思議な感覚でした。
- どんなリーディングがくるんだろうと思っていたのですが、すごくドンピシャといいますか、とても大切な内容でした。
- もともと今回の「大山」という場所にびびっと来て申し込んだのですが、大山(といいますか、そこに関わっていると思っている存在)が象徴しているもののひとつも、実は自分にとって父親、または父子という関係でしたので、やっぱりそうなのかなと。
- 森を歩いている間は山からの眼差しや、「いっつも戦ってる感じだよね」というメッセージ、また数年前につうりさんから伝えてもらった父との関係性などを思い出しつつ、「ここだな」と思える場所に折れて、ある樹を暖かい父親だと思って抱き締めました。素敵な体験でした。森の中で自分のなかにある父を見いだせたか?はわからないのですが、自分にとっての父は暖かいもの、応援してくれるもの、安心できるもの、だということを再確認して、これからはそういうものをこころに持とうと思いました。
- もともと、望んでいるものもそういうものでしたし。もしも小さい頃に自分にそういうものがあったのなら、それはきっと全然違う自分の表現になっていただろうと思えます。こころの中にそういう土台をもつことで、自然な自信や自己肯定感、「自分は戦わなくてもいいのだな」という安心感ができる。現実にはそうでなかったけど、想像できるものは内側に、または別の時間で体験していたことなのではないかと思えます。そのことを引き出し統合してみようと思います。タイムリーといいますか、今年~ごく最近のことですが、気付けば少しづつですが自信が芽生え、人が怖くなくなってきています。生きることに少しづつ能動的になれて、以前よりずっと自由で楽しい。 自分のままでも受け容れられる、という理解は父との関係性の時間と視点も変えてくれそうです。「自分は応援されている」、そう思うとそれは無理のないパワーになります。それが暖かい父親の像みたいなものとして、理想なのかも知れませんが、ずっとある愛情の感覚です。その感覚を少しの間、わかるまで感じてみたいなとその後思っています。
- とても深く濃い時間でした。 大自然の森の中在る完全な豊かさに胸打たれました。私が私で在ることに改めて感謝することができた素晴らしい時間となりました。
- 人のコントロールに関しては、敏感であり嫌悪感を感じていたが、ともすると自分も人を変えたくなる。そして自分自身に対して一番強いコントロールを加えてきたのではないかと思った。
- 森の木よりもその場の空気に溶け込む力が備わっている気がする。木を隠すなら森の中。隠す必要があるかはわからないが、人との関わりは一人の時間と同じくらいにやはり大切なのだと思う。
- 人の気に合わせて疲れてしまうのはとにかく気をつけたい。 印とマントラの組み合わせ。最近好きでよくやっています。大山で教えてもらったものも良かったのでまた繰り返してやりたい。
多くの皆さんより、個々の体験をフィードバックしていただき、とても励みになります!
貴重なご感想をありがとうございました。
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