予言のメカニズムー予知と予言ー
人間である私たちは誰しも未来を「予知」することができる。
鳥たちが、嵐が来る前にそこを離れるように。
虫たちが、地震が来る前に土から這い出すように。
人間としての私たちも同じように地球の一部としての存在であり、微細な感覚であるサイキックの領域を通じて、未来に起こることを予知することができる。
具体的に言えば、私たちはアカシックレコードからの情報を、潜在意識を通して常に受け取っている。
また肉体のアカシックレコードにより、90日以内の近い未来に関してはより明確に情報を受け取ることができるシステムを持っている。
この「予知」を言葉として表現することが「予言」となる。
そして「予知」と「予言」の間に、自我の意識が介入する。
アカシックレコードリーディングの概念を一般的なものとしたエドガー・ケイシーは、2001年までに日本は沈没する、と予言した。
またこのエドガー・ケイシーの予言に対して、日本人の霊能者たちは、沈むのは日本ではなくアメリカであるとした。
しかし結果的には「日本が沈没する」ということは私たちが体験している現実の一部となることはなかった。
結果として、この両者の予言には、自我のノイズが入り込んでいたと理解できる。
その自我のノイズとは、自分自身の身の安全を第一とすることと、その安全を脅かそうとする不安と恐れである。
エドガー・ケイシーは自国であるアメリカが技術的に発展することで、地球環境を脅かすこととなる未来の状況を予知としては受け取っていたはずだ。
しかし自分自身が生まれ育った土地が脅かされることの不安を、より技術的に高まりつつあった日本へと投影し、またアトランティスの技術の発展と重ね、日本の沈没として予言したといえる。
また日本の預言者たちも同様の不安と恐れから、アメリカの沈没を予言した。
さらに付け加えるなら、2001年は日本経済が「沈没」したタイミングであり、アメリカ経済でもエンロン事件(アメリカ最大規模のエネルギー企業の倒産による経済ショック)が発生し、この事件から連鎖して有名なリーマンショックへとつながるきっかけとなったタイミングの年といえる。
つまりエドガー・ケイシーも、日本の預言者たちも「国が沈没する」ということにおいては、非常に明確に「予知」していたといえるが、そこに不安と恐れのノイズが入ることで「予言」としては、言葉通りにはならなかったということになる。
この予知と予言の違いを理解することで、私たちは予言をどのように扱えば良いのかがわかる。
一般的には、予言とは「当たった・外れた論」になりやすい。
しかし私は、予言とは、当たった・外れたという二元論ではなく、「予知としての情報をどのように予言として表現したのか、そこにどんな自我が介入しているのか」という視点でとらえる。
そうするとどのような預言者やアカシックリーダーなどに対しても、誰が優れているのか、という視点ではなく「どのような表現をしているのか、どんな自我が介入しているのか」として見ることができ、その背後に国や人類の集合意識がどこへ向かおうとしているのかを読み解くことができる。
つまり予知ができる一握りの人がいるわけではなく、誰もが予知の段階では正確なものを受取っているものの、それを言葉にする段階で少しずつズレが生じるのだ。
だからこそ、どのような優れた霊能者であっても、預言者であっても、常に100%正しい情報を伝えられるわけではない。
人間である以上、そこにはかならず自我の働きと言葉が介入する。
予言を扱う上で何よりも愚かなことは、誰々の情報は確実に正しいものだから、それに従っていけば絶対に安全だ、と思い込むことである。
自分自身の不安と恐れから、より優れた人のそばにいたいと願うことは、結果としてより深い迷路へと入り込むこととなるだろう。
私がアカシックリーダーの育成に力を注いでいることの理由の一つは「人は誰しも自分の未来を知っている」ということを全ての人が実感したらいい、と思うからだ。
誰かの予言を信じるのではなく、自分自身の深い部分へと降りていき、微細な感覚へと流れ込んでいる予知へとつながる。
そして自分自身の魂と肉体を未来へと繋げていく。
そうすると「たとえ何が起こったとしても、常にベストな時間と場所に自分はいる」と自分を信頼できるようになる。
この2025年は多くの集合意識の揺れが予想され、あらゆる領域の有識者たちがその「予言」を行なっている。
けれどぜひ覚えておいてほしい。
あなたの未来に関しては誰も責任をとってはくれないのだ。
あなた自身のことは、あなた自身がすべて知っているのだ。
あなたは一度も間違ったことはなく、これからも決して間違うことはない。
あなたは最初からすべてを知り、完璧なタイミングでここまで歩んできているのだ。
そう。常にベストな時間と場所にあなたはいるのだ。
あなたがこの2025年、いつでもそう思えますように。
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齊藤つうり特別コラム 2025年1月後半号より
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