命に嫌われている【ブッダスクール通信vol.85】
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
1月、2月といえばちょうど受験シーズンですね。
我が家も中高生の子どもたちがふたり、これから受験を控えているところで、大変わちゃわちゃしております。春が待ち遠しい……!
さて、今日は少し、子どものころの記憶に触れるところからお話を始めてみたいと思います。
今でこそ「地球はまるい」ということを、私たちは知識として当たり前のように知っています。けれど、子どものころ。地球がまるいなんて、そんなことを本気で考えていたでしょうか。
「地球って、まるいんだよ!」って、いつ、どこで、誰に教わったのか。
はっきりとは思い出せないけれど、気づけばそれは、疑いようのない“常識”として、私たちの中に置かれていました。たくさんの写真や映像、エビデンスを目にしながら、「そうなんだな」と、少しずつ腑に落ちていく。
けれど、「じゃあ、なぜ地球はまるいの?」という問いには、誰も答えてくれなかったような気がします。
ところが私は、なぜ地球がまるいのかが知りたい子どもでした。
そして、長らく胸に抱きつづけていたその問いへのひとつの“答え”を、とあるバンドの歌詞から教わったのでした。
そのお話のつづきは、編集後記で、ゆっくりと。
さて、本日もお待ちかね!の、つうりさん特別コラムへと、さっそく進んでまいりましょう!
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「命に嫌われている」
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毎年、一年間のアカシックレコードの情報として、YouTube動画を公開している。
今年は「お金が消える一年」というテーマについて話した。
その内容のなかで「命に嫌われない生き方をする」というキーワードを使ったのだけど、この言葉には元ネタがある。
10歳になる息子が『命に嫌われている(カンザキイオリ・2018年)』という歌を最近気に入っていて、車での移動中ではこの歌を1曲リピート・無限再生でかけろ、と言われているのだ。
そんな契機で私もこの歌をしっかりと聴くことになった。
私は昔々、ギターと歌をやっていた。ボブディランのスタイル-どこにも属さずに、世界を外から観察する歌-に憧れた。
とりわけ詩をメロディに乗せることで、その詩の力を増幅させる、というやり方が好きだった。
そんな経緯もあって、私はどんな歌でも歌詞を聴く。
この「命に嫌われている」という歌の歌詞は、批判的で毒がありつつも、たしかに現代を生きる私たち(あるいはこの歌を聴く世代の人たち)の心の真実のようなものを捉えている。
(ここまで読んでみて、歌に興味を持った方はぜひタイトル検索をして歌を聴いてほしいと思う。その前提で以下を読んでもらうときっと文面がすんなりはいってくるはずだ。多くの歌い手が歌っているが私は「まふまふ」という歌い手が好きだ)
ざっくりと歌の内容を書く。
命を大切にしろ、という言葉はとても嘘くさい。
現状の私たちは、ネット社会のなかで、軽々しく誰かを批判し、死の呪いを簡単に吐く。
そして自分が死んでしまってもどうでもいいくせに、身近な人が死ぬのは困るという自己矛盾を抱えている。
どうすれば幸せになれるのかもわからず、過去や環境を憎む。
出会いの意味すらわからないので、本当の別れなど体験しているはずもない。
そんな私たちは命に嫌われている。
以上がこの歌の大まかな内容である。
まずこの歌の「命に嫌われている」という言葉に担わせたニュアンスが興味深い。
この歌で繰り返し使われる「命」という言葉は、個々人に宿っている「命」のことでもあるのだけど、歌全体を捉えてみると「宇宙全体に遍満する、全体としての命」という意味合いを持たせている。
それは西洋文化的な個人主義としての命ではなく、日本の自然観に基づいた命のとらえかたに近いように思う。
そのため歌で使われている「命に嫌われている」というフレーズは、言葉からシンプルに想像しうる「自分自身の命を大事にしていない」というニュアンスよりも、「自分を含む、宇宙全体に遍満する命の本質的な扱い方を私たちは忘れてしまっているのではないか」というテーマを伝えているように感じられる。
さて、ここからはアカシックレコードの今年のテーマの「お金が消える一年」と「命に嫌われている」という言葉の関係についてである。
すごくシンプルに物事を捉えてみると、私たちが生きやすい世界とは「命に嫌われない仕組みに基づいた世界」であるはずだ。
その逆に、私たちが生きにくい世界とは「命に嫌われている仕組みに基づいた世界」ということになる。
この「命に嫌われている」という感覚は、今後の私たちの方向性を示唆する大切な言葉なのではないか。
そうした意図から、今回はこの言葉を動画のなかで引用した。
著作家・コンサルタントである山口周氏は「高原社会での課題は「エコノミーにヒューマニティを回復させる」こと」とコメントしている。(引用元https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002393.html)
ここまでの歩みを進めてくる中で私たちの社会は、経済性から人間性を排除することで、その拡大を最優先にしてきた側面がある。
その目的は「安心安全に生きていくこと」にあった。
土地を確保し、水と食料を確保し、子供を安全な場所で育てる。
まずはそこが達成される必要があった。
そのような状態では人間性と経済性は両立が難しかった。
だからこそ、軸足を経済性へ置くことで、まずは社会の地盤を固めた。
そして、ある程度の段階を過ぎ、あるいはマズローの生存欲求の段階を通り抜け、私たちの集合意識は軸足を人間性へと戻しつつある。
現代のお金は人間性が排除されやすい構造を持っている。
なぜならシンプルな金額の数字には人間性は反映されないからだ。
しかし、そうした理由からこそ、未来の経済は、人間性が反映されたものへと近づいていく。
つまり「未来のお金」は、私たちがこれまでに知ってきた「お金」とは、まったく異なる様相を帯びることになるだろう。
そして私たちが知っている「お金」は消えていく。
一見すると、お金が消える世界や、人間性と経済性が両立する世界は、青年期の理想主義に満ちた夢物語のように映るかもしれない。
けれども、「お金が消えて、誰もが生かし合う世界なんて、現実を知らない人の妄想だ」と安易に信じてしまう私たちは「命に嫌われていること」にあまりにも慣れてしまったのかもしれない。
私たち日本の根底には「もののあわれ」という感受性に満ちた思想がある。
それは命とは固定的なものではなく、支配や所有できるものではなく、儚さやうつろいゆくすべてのなかにあらわれるということ。
そしてその命を支配や所有ができないからこそ、そこに美しさがあり、心が動かされる。
だからこそその命には直接名前をつけることをしてはいけない。歌などの比喩・間接表現でしか命をあつかってはいけない。
それがもののあわれの本質だ。
私という人間はとても多くの問題を抱えているし、そのことで随分と周りの人たちは苦労してきたと思う(たぶんいま現在もそれは続いている)。
それは私という人間の基本的な構造の問題でもあるのだろうし、幼少期や過去世の問題もそこにはある。
その上で私がもしも自分の人生として大切にしてきたものを挙げろと言われたら、私は「命に嫌われない生き方」を選択してきたと言いたい。
私がこの世界に対して、あるいは社会で働く人々に対して、一番違和感を抱える点は「経済性と人間性は両立できない」ということを、なぜそんなに簡単に受け入れてしまうのかということだ。
私はいま48歳であり、中年と呼ばれる年齢となった。寺を離れ、社会に出て、会社を立ち上げ、活動をし、いまでは寺の運営と地域にも携わり、二つの法人を経営している。
もちろん経験としてはまだまだであり、まったく足りない面もあるし、組織としても小さいし、現状としては失敗だらけだと思う。
痛い目もたくさん見てきたし、「裏切り」と一般には呼ばれる行為を受け、傷ついた経験もある(性格上、立ち直りは早いのだが)。
自分がもっと優秀だったなら、周りの人たちはここまで迷惑を被らずに済んだのではないかと、心から謝罪したい場面は、今でも毎週のようにある。
けれど私は「命に嫌われる生き方」を選んでいない、という点においては一貫している。
そして経済性と人間性をどうやって両立できるのかを日々模索し続けている。
その上で、私は確信している。
お金が消えた後、私たちは再びこの「もののあわれ」の感覚に戻る。
命とは管理ができるものではない。
同時に、私たち自身も誰にも所有される存在ではない。
命の扱い方そのものが、社会の中心に置かれる時代が来る。
移ろいゆく世界の中で、何に心を動かされ、何を大切にしたいのか。
その問いを一人ひとりが引き受けるとき、経済は単なる仕組みではなく、人間の生き方そのものを映す場へと変わっていくはずだ。
そして、もしも命が管理され、支配されるなら、私は真っ向からそれに立ち向かうだろう。
命は役割でもなければ、数字でもない。
命には名前をつけることすらできない。
管理された命や、名前のつけられた命は、偽物だ。
命に嫌われた世界は、滅ぶ。
そして、もし私たちが今、命に嫌われているのだとしたら。
どうすれば「命に嫌われない道」を歩むことができるか。
その問いを、目の前の一歩として引き受ける必要があるのだろう。
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〔2〕最新スクール情報
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【募集開始】自己表現とセルフパワーのプログラム
個人セッション(60分間):2026年2月10日(火)または3月10日(火)
江ノ島ワークショップ+撮影会:2026年5月27日(水)12:00〜16:00
あなたは自分の価値を認め、それを表現できていますか?
私たちはこの力を「セルフパワー」と呼びます。セルフパワーとは、自律性を生きるときに発揮される存在の力であり、自己表現や豊かさ、収入の源でもあります。この力を持つ人は、どのような場においても自然と人を惹きつけ、「自分を生きている」という確かな軸を持っています。
セルフパワーはヨガでいう第3チャクラ「内なる太陽」と深く関わり、日本人が苦手としがちな自己主張や価値表現とも密接です。2026年という大きな転換期に向け、ブッダスクールではセルフパワーと自己表現を解放する特別プログラムを提供します。
本プログラムでは、齊藤つうりによる個人セッション、魂の表現としての一点物の衣服制作、そして江ノ島での撮影を通じて、あなた自身の内なる価値に気づき、新しい一歩を踏み出すことをサポートします。
内なる太陽を解放し、本質的な豊かさを生きるための特別な時間をご一緒しましょう。
【募集中】先祖供養セラピーワークショップ in 高源寺 <現地開催>
2026年3月7日(土)・8日(日)10:00~18:00(両日共)
このワークショップでは、皆さんがよく知っている供養の習慣などの裏側にある、「実際、先祖や死者たちはどのように私たちと関わりがあるのか?それがどのように私たちに影響するのか」という観点から、私たちがどのように先祖供養という、大きな大きな財産を、現実に活かすことができるのかということについて、お伝えしています。ワークとして、実際に先祖や亡くなった方の意識とつながり、彼らが何を「本当の意味で望んでいるのか?」という本質を明らかにしていきます。
また一日の終わりに、法要式の形式を使い、家系の滞ったエネルギーを解き放ち、無限の愛の源である祖霊とつながるワークを行っていきます(注)。
注:このワークショップの目的は、仏教の既存宗派の教えや、他の宗教の先祖供養の考え方や方法を否定することではありません。各々の宗派、宗教の先祖供養の方法を含んだ上で、新しい視点を提示する目的で行われます。
【募集中】アカシック ベーシックコース《オンライン》
2026年5⽉16日(土) 開講
この4日間のクラスでは、アカシックレコ-ドに関する基本的な概念、読み解くための方法、そして他者をリ-ディングするための実践的なテクニックを習得することができます。日本で最も多くのアカシックリ-ダ-を育成した経歴を持つ齊藤つうりによる長年の経験と豊富な知識によって、誰にでもわかりやすい講義や、凝縮したワークによって、非常に充実した内容です。
アカシックリーディングがまったく初めてという方から、様々なスピリチュアルな体験を経ている方まで幅広く、アカシックレコードを読む楽しさ、面白さ、そして感動を存分に味わう時間となることでしょう。またグル-プでワークを行うことで、ひとりでは決して体験することができない、他者を読むという経験を積むこととなります。
そして、ただ単にクラスを受講したというだけではなく、この4日間を終了することによって、恒久的な変化があなたに訪れることでしょう。そのことによって、あなたはアカシックレコ-ドという存在が、あなた自身と密接に関連しており、仕事、人間関係、健康などのとらえ方に大きな変化が起こることを体感することでしょう。
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〔3〕編集後記
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「だれもすみっこで 泣かないように 君は地球をまるくしたんだろう?」
これは、RADWIMPSの『有心論』という歌の一節です。
彼らが「前前前世」(映画『君の名は』の主題歌)で広く知られるずっとずっと前に、この曲を友人に勧められて聴いたときのことを、私は今でもよく覚えています。
そのフレーズが流れてきた瞬間、文字通り、ハッと息をのみました。ああ、そうかもしれない、と。
地球がまるい理由は、だれもすみっこで泣かない世界であるためだったんだ、と。
やっとわかった、と思いました。そして、とてもとても嬉しくなって、そのとき私は少し、泣いてしまったと思います。
この歌詞の指す「君」それは、物理的な法則や理屈ではなく、「だれも、すみっこで泣かないように」という、そんな、神とか宇宙とかそんな彼方からの想いから生まれたのだとしたら。
理屈で説明される前に、言葉が先に胸に届くこと。
理解するよりも前に、「そうかもしれない」と感じること。
歌詞や物語、ふとした言葉が、私たちの中の何かに触れて、自分だけの大切な真理となり世界の見え方を少し変えてしまう。
そんな体験は、誰の中にもきっとあるのではないでしょうか。
地球がまるい、ということを「知った」瞬間よりも、「そうか、だからだ。だから地球はまるいのだ」と感じた瞬間のほうが、ずっと記憶に残っているように。
それにしても、言葉に音がのるだけで、音に言葉がのるだけで、こんなにも心を打つことの理由もいつか知りたいものですね。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
文責:さめじまみお

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