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この世界にはまだ歌われていない歌がある。
その歌はきっと歌われることを待っている。

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この嘘くさい世界から脱出する方法【ブッダスクール通信vol.88】

みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。

今日から3月ですね。
まだ朝晩の空気は冷たいけれど、道ばたの草花や、やわらかな日差しに春の気配を見つけるたびに、なんだかほっとします。
卒業、進学、異動などなど変化のシーズンでもありますよね。
季節も環境もいつもまにか移ろってゆき、わたしたちの“世界の見え方”も、気づかないうちに少しずつ変わっているのかもしれません。

そういえば春はいつも不安だったことを思い出します。クラス替えや進学など、環境が変わることってこわかったなあ……なんて思いながら、子どもの頃のある記憶を思い出しました。

小さい頃、わたしには「まりえちゃん」という友達がいました。
……と、当時のわたしは本気で思っていました。ほんとうに、本気で。

そのお話は、編集後記で少しだけ。
さて、本日もつうりさん特別コラムをどうぞお楽しみください!

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    〔1〕齊藤つうり特別コラム
  「この嘘くさい世界から脱出する方法」
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ー 今回のメルマガはこれから自分の事業を立ち上げよう、すでに何かを始めているけど、なかなか軌道に乗らない、という人たちに向けた内容です ー

端的に言って、自分でこの世界に向かって何かを立ち上げるということは、なかなかしんどい作業だ。

そしてある程度時間もかかる。

よく巷で言われる「何何すればうまくいく!」というのは、聞こえは良い。

けれどスクールと寺を運営している私からすると、「それはそうだけど、それだけじゃ続かないよな」とツッコミを入れたくなる。

なぜなら事業を立ち上げて、運営していくということは、圧倒的に面倒くさいからだ。

あくまで主観的で言えば、9割はやりたいことではなく、1割でやりたいことをやれる、くらいの感覚と言っていい。

だからこそ、「自分は一体何のためにやっているのか」という軸のようなものを持たないと、長期間にわたって持続的な事業を行うことは難しい。

逆をいえば、そういう軸がなくとも、短期間で打ち上げ花火のような事業を行うことはできるだろう。

それは何も悪いことではない。

けれど私がここで書きたいのは「長期間にわたって持続的な活動」を行う場合のことだ。

だから今回のメルマガでは「齊藤つうりは、これをずっとやっている」という背景のダイナミクスのようなものを、ずっと回っているエンジンのような仕組みを書いてみたいと思う。

物心ついてから、48歳になる今まで、私にとって一貫している思いがある。

それは「この嘘くさい世界からどうやって脱出するのか?」ということだ。

この思いはずっと私のなかにあり、いまも私の活動の根底を支えているモチベーションでもある。

そして二つの法人を経営する中で、どちらにも貫通している意志のようなものでもある。

この世界は嘘くさい。

物心ついた時からそう思っていた。

私がやれることはただ一つ。

「どうやったら、この嘘くさい世界から脱出できるだろうか?」

それだけだった。

誰もが本音と建前を持ち、自分の損得だけを考えてそれを使い分けている。

そして生きがいを持ち、自由に活動しているように見える人も、誰もいない場所で虚無にとりつかれ過ごしている。

私にとって一番不思議なことは、なぜこんな嘘くさい世界のなかで、他の人たちは平気で生きることができるか、ということだ。

それでも人間は一時的な快楽や承認を求めることから降りることができない。

妥協と小さな正しさを守りながら、無意味な生にしがみつく。

すべてが虚偽で、皆が一番大切にしている愛とやらは欲望と執着の程よくラッピングされた商品のように感じられた。

そして親や身近な人と、自分が感じているこの感覚を共有することは不可能だと思っていた。

私は手当たり次第、本を読んだ。

どこかに同じ思いをしている人がいるだろうか。

かつて同じ思いをした人はどうやってここから脱出したのだろうか。

誰かそのルートを見つけた人はいないだろうか。

そのルートがあるなら、なんとかそこに辿り着きたい。

そうでなくて、このまま社会に属して、その歯車として生きるなら、死ぬしかない。

そんな結論を持ちながら、文字通り必死で答えを求めた。

ミヒャエルエンデとヘッセは私に救われた。

筒井康隆と村上春樹は縦にも横にも私の世界を広げてくれた。

ユング心理学、トランスパーソナル心理学、シュタイナーによる人智学等が私にはフィットした。

それらを通じて、あるとき私はとてつもなく恐ろしい真実を理解した。

この世界にあるのは、ただ一つ。

自分の認識があるのみで、他には何もない、ということだ。

その真実は私にとってあまりにも衝撃的だった。

強すぎる光に当てられた地下の生き物のように私は苦しんだ。

もしそれがほんとうなら、「嘘くさい世界」とは、私がそのような認識で捉えているに過ぎないからだ。

そして自分の認識以外何もないなら、この嘘くさい世界を作り出しているのは私自身なのだ。

たしかに私の幼少期の環境はそれほど立派なものではなかったけれど、そこから「嘘くささ」を選びとっているのは、この私なのだ。

当時10代だった私にとっては、その真実は圧倒的な光だった。

それまで私は「なんとかこの世界から脱出したい」と願い、それこそが自由への道であり、それはスピリチュアルな終着点なのだと信じていた。

けれど自分が世界を見ている視点がそもそもエラーを起こしているのだとしたら、世界から脱出した先などあるはずはなく、それは自分から逃げたいという衝動にすぎない、ということになる。

「どこに逃げたとしても、自分からは逃げられない」

それは強すぎる真実であり、同時にすべての答えだった。

それは霊的なイニシエーションそのものだった。

虚無に満ちた、嘘くさい世界を作っているのは自分の認識であり、そこから脱出する方法は「なぜその捉え方を私はするのかを理解する」ということだけなのだ。

そして私は仏教にたどり着いた。

ブッダの説く解脱とは、私がずっと求めていた「この嘘くさい世界から脱出する方法」であり、その方法とは、自分の認識に向き合い、その認識を変容させる術だった。

そして私は僧侶の道を選んだ。

その後、多くのティチャーたちと出会い、そのプロセスのなかで、アカシックリーディングを基軸に、自己統合とスピリチュアリティを追求するためのスクールが作られることになった。

そしていまはこう思っている。

世界とは自分自身であるのなら、この「嘘くささ」とは、私が自分自身に感じている感覚なのだ。

そして「自分自身への嘘くささ」を変容させていくことが、私がやることなのだ。

自分の認識を変容させることで、世界を変容させていく。

私自身を自由にすることで、世界を自由にしていく。

それが私にとっての「脱出」なのだ。

冒頭の事業という話に戻ろう。

私にとって事業とは「この嘘くさい世界から脱出すること」を行う場だ。

この世界から脱出する方法は、どこか遠くにあるのではない。

自分自身のなかにある嘘くささと向き合い、そこから本質を取り出していくプロセスのなかにそれはある。

どんなことをやっていても、一貫して私はそのことだけを意図している。

さて。

もしあなたが何か事業を立ち上げたいと思うのであれば、「何をやるか」より先に問うべきことがある。

あなたの内側にあるものは何だろう?

あなたの内側で、子供の頃からあなたを動かしていた力とはどのようなものだろう?

そしてあなたが「結局、それだけをやりつづけているんだよな」と心から納得できるものはどんなことだろうか。

私たちはいま個性化の時代を生きている。

それは私たちが心の奥でずっと望んできた未来そのものだ。

そしていま私は思う。

もし誰もが自分自身を生きていたら。

私がずっと感じてきた「嘘くささ」は本当の意味で解き放たれるだろう。

だから私は見てみたい。

あなたが自分自身の内側をどんなふうに開いて、それを生きるのかを。

 

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     〔2〕最新スクール情報
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【募集中】先祖供養セラピーワークショップ in 高源寺 <現地開催>

2026年3月7日(土)・8日(日)10:00~18:00(両日共)

このワークショップでは、皆さんがよく知っている供養の習慣などの裏側にある、「実際、先祖や死者たちはどのように私たちと関わりがあるのか?それがどのように私たちに影響するのか」という観点から、私たちがどのように先祖供養という、大きな大きな財産を、現実に活かすことができるのかということについて、お伝えしています。ワークとして、実際に先祖や亡くなった方の意識とつながり、彼らが何を「本当の意味で望んでいるのか?」という本質を明らかにしていきます。

また一日の終わりに、法要式の形式を使い、家系の滞ったエネルギーを解き放ち、無限の愛の源である祖霊とつながるワークを行っていきます(注)。

注:このワークショップの目的は、仏教の既存宗派の教えや、他の宗教の先祖供養の考え方や方法を否定することではありません。各々の宗派、宗教の先祖供養の方法を含んだ上で、新しい視点を提示する目的で行われます。

【募集開始】先祖供養セラピーワークショップ in 高源寺

 

【募集中】アカシック ベーシックコース《オンライン》

2026年5⽉16日(土) 開講

この4日間のクラスでは、アカシックレコ-ドに関する基本的な概念、読み解くための方法、そして他者をリ-ディングするための実践的なテクニックを習得することができます。日本で最も多くのアカシックリ-ダ-を育成した経歴を持つ齊藤つうりによる長年の経験と豊富な知識によって、誰にでもわかりやすい講義や、凝縮したワークによって、非常に充実した内容です。

アカシックリーディングがまったく初めてという方から、様々なスピリチュアルな体験を経ている方まで幅広く、アカシックレコードを読む楽しさ、面白さ、そして感動を存分に味わう時間となることでしょう。またグル-プでワークを行うことで、ひとりでは決して体験することができない、他者を読むという経験を積むこととなります。

そして、ただ単にクラスを受講したというだけではなく、この4日間を終了することによって、恒久的な変化があなたに訪れることでしょう。そのことによって、あなたはアカシックレコ-ドという存在が、あなた自身と密接に関連しており、仕事、人間関係、健康などのとらえ方に大きな変化が起こることを体感することでしょう。

【募集開始】アカシック ベーシックコース《オンライン》

 

【募集中】2026年度 Total Integration Course《オンライン》

2026年5⽉30日(日) 開講

本コースは、過去と未来を統合し、本質的な生命力を得て、なれる最高の自分(=個性化)を生きるための9ヶ月のプログラムです。
個性化とは、あなた自身が本来持つ個性に触れることで、本来そうなるであろうあなた自身へと統合されていくプロセスのこと。外側の役割や目標に到達しようとするのでなく、内側にある自己の力を知り、魂のビジョンを解き放ち、総合的な領域(社会的、精神的、霊的)を統合した、新時代のライフスタイルを提示します。

また、しっかりと時間をかけることにより、新しい知識や、ワークで得た感触のひとつひとつが自分自身の内側と結びつき、花開き、やがて根を張り、大樹のように成長していくことを意図しています。
すべてを簡単に得られる時代だからこそ、長期プログラムによってのみ得られるほんとうの人生の変容を、私たちのスクールでは最も大切にしています。

【募集開始】2026年度 Total Integration Course《オンライン》

 

【募集中】第5期アカシック<プロフェッショナル>コース

2026年6月20日(土)開講 

このクラスは1年間のプログラムを通して、リーディング・ガイドの実践を重ね、それぞれの現場で活躍するためのアカシックリーダー・ガイドを育成するためのクラスです。
アカシックレコードの高次元の領域までの開発を行うことで、実践的なスキルを深め、日常のなかで機能するアカシックリーディング・ガイドとして皆さんが活躍するための場を意図してプログラムされています。
このコースは1年間をかけることで、アカシックリーディング・ガイドをあなた自身の肉体・精神・霊性と統合させる目的があります。

また宇宙システムと地球システムの本質的な理解により、認識の視座は大きく解き放たれることでしょう。
そして魂の青写真とあなた自身の人生はひとつのとなり、無限の色彩をもった表現へと変容していくのです。
またもしあなたがこのコースを本当の意味でやりぬいたなら、あなたは自分自身がひとつの体系をつくりだすことができる力を養うことになるでしょう。

【募集開始】第5期アカシック<プロフェッショナル>コース

 

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       〔3〕編集後記
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小さい頃、わたしはいじめられていて、友達がいませんでした。
まりえちゃんだけが友達でした。
母には毎日のように「今日、まりえちゃんとこんなことして遊んだよ」「席替えでまりえちゃんと隣になったんだ!」と、色鮮やかに語っていました。

けれども、まりえちゃんは、ほんとうはいませんでした。わたしがつくったいわゆるイマジナリーフレンドです。

話だけ聞くと切ないし胸が痛むエピソードかもしれません。架空の友達を作って、嘘の話を親にし続けるなんて。もちろん悲しかったと思います。けれど不思議なことに、あの頃のわたしはその“物語”を語ることで、確かに癒されていました。

まりえちゃんとの時間は、わたしにとってほんとうにあたたかく、豊かなものでした。が、その世界は担任の先生と母との二者面談のときに終わります。「まりえちゃんなんて、いませんけど……」という事実によって。

でも、いまでも思うのです。
わたしにとって、まりえちゃんはほんとうにいたのだと。

あの頃のわたしは孤独な世界から“脱出”しようとしたのではなく、自分の認識の中にもうひとつの世界を創り出していました。
世界が冷たく感じられたから、わたしは世界を作り直した。
それは逃避だったのかもしれません。
でも同時に、あれはわたしの最初のクリエイティビティでもあったのだと思います。

大人になってからは別の形で心の折り合いをつけられるようになりました。学びを深めたり、小説やアートや音楽に触れたり。そうやって救われることも増えました。
でもそんなことを知らなかった子どもだったわたしでも、あの頃すでに自分の世界を創る力を持っていたのかもしれません。
自分を守るために生まれた物語の中に、ほんとうの力の種があったのだと思うのです。世界を創る力の種が。
だってまりえちゃんは、たしかにいてくれたのですから。

だからこそ、あの頃のイマジナリーな生活、あの豊かな創造の時間は、どこか切なく、なつかしく、そしてちょっぴり誇らしくもあるのでした。

今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。

文責:さめじまみお

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