19歳の夜、私は神を体験した【ブッダスクール通信vol.97】
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
毎日暑い日が続いていますね。
気づけば7月も半ば。「今年も夏が来たなあ」と感じる今日この頃です。
さて、わたしは物心ついたころから、本を読んだり文章を書いたりすることが大好きでした。
運動も得意ではないし、友だちづきあいもうまくない。
そんな子どもだったわたしが、唯一ほめられたり選ばれたりしたのが、文章に関することでした。
読書感想文や詩が選ばれてみんなの前で読まれたりすると、「わたしはきっと小説家になるんだ」と、疑いもなく思っていたんです。
ところが、大人になっても小説を書き始める気配がまったくありません。
「そのうち書けるようになるでしょ」と気楽に思っていたのですが、どうも様子がおかしい。
日記やブログはいくらでも書けるのに、小説だけはどうしても書けないんです。
小説家になると思っていたのになあ。
あんなに強く確信していたのに、かなわないことってあるんだな、と、そんなことを思い出した最近の出来事がありました。
の、続きは編集後記にて。
それでは本日も、つうりさん特別コラムをどうぞお楽しみください!
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「19歳の夜、私は神を体験した」
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今回は、現実化について書いてみる。
私にとって「現実化」という言葉は、非常に大切な言葉の一つだ。
私は16歳で父を失い、10代の頃から、内的な悟りのようなものを求め続けた。
そして私の内側にあるものに確信があった。
私は何らかの形で、人の目覚めに関わるスクールに関わりたかった。
もしできることなら、それを教える人になりたかった。
また表面的な人格ではなく、奥深い本質で人と関わることを求めていた。
けれど自分の内側にあるそんな感触を、実際の現実の中でどのように表せばよいのか。
自分の内側にあるものを、外の現実とどのように結びつければよいのか。
そのことについては、まったくの無知だった。
そして19歳の夏がやってきた。
一番苦しかった時期だ。
16歳から始まった内的な旅は、すでに4年目に入っていた。
この間、私は外部の接触をほとんど断ち、多くの時間を一人だけで過ごし、内省に費やした。
ほんとうに長く、孤独な時間だった。
けれどもうすぐ20歳になる。
20歳になるまでに何かを見出さなくてはならない。
もし20歳になるまでに何も見出せなかったら、私は死のうと思っていた。
当時の私にとって、自分の内側にあるものと外の現実との間には、あまりにも大きな距離があった。
仕事もない。学歴もない。経験もない。何かのスキルも資格もない。きっかけすらない。恋人もいない。
ほんとうに何もない。
それが、当時の私の状況だった。
外から見たときには、私は何もしていないように見えただろう。
けれど私は何もしていなかったわけではない。
なんとか内側にあるものを現実にしなければならないと焦っていた。
そして何もできない自分自身に対して、ひたすら怒っていた。
ただただ無意味な日々が過ぎていく。
ある本に書かれていた「思考を現実化する」という言葉が私の中でずっと回っていた。
思考、つまり私の考えや、内側にあるものを現実化する。
それは一体どういうことなのだろうか?
どうすれば私の内側にあるものと、現実を繋げていくことができるだろう?
そして、私はその本を読みながら、疑問を抱いていた。
内側にあるものと外側にあるものは、結局、別なのではないか。
私の内側にあるものは、ただの主観や妄想のようなものであって、どれほど強い確信があったとしても、外の現実に結びつくことはないのではないか。
たとえ私が消えたとしても外側の現実は私を抜きにしても回る。
そうだとすれば、この世界の巨大な歯車は私と関係ない場所で回り続けていて、私はあくまでもその片隅にひっかかっている、ろくでもないゴミのようなものではないのか。
そんな19歳の夏に、私は伊豆へ行った。
一人でリュックを背負い、電車に乗って、適当な駅で降りて、あとは歩いた。
別にどこでもよかったのだ。
ひとりになって、海を見たかった。
それだけの理由だった。
お金もない。泊まるところもない。計画もない。
おまけにとても暑い日だった。
炎天下に照らされながら、伊豆高原あたりを歩き回った。
私は、寒いのは得意なのだけど、暑いのは苦手だった。
日差しから逃げるように歩き回り、やがて夜になり、公園に入った。
公園の東屋のベンチに横たわって眠るつもりだったのだ。
ところが、その夜はとても暑かった。
また蚊が耳元を飛び回り、不快極まりなかった。
ふらふらになりながら、私は再び歩き出し、海岸を目指した。
海岸へ行けば少しは涼しいだろうと思ったのだ。
3時間ほどかけ、ようやく海岸に辿り着いた。
しかし、そこもやはり暑かった。
風もない。蒸し暑い。さらに塩で腕や顔がベタベタになった。
そのうえ身体中を蚊に刺されたために、かゆくて仕方がなかった。
ごつごつした岩に身を横たえて、俺は何をやっているのだろうと思った。
世界のどこにも自分がいる場所はなく、今夜眠る場所すらない。
あまりの何もなさに、どうすればいいのかほんとうにわからなくなってしまった。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか。
この何もなさにどんな言葉を当てはめることができるのか。
そのとき、私は心の底からこう思った。
もしもこの世界に神様がいるのなら。
神という存在が、どこかで私とつながっているのなら、どうか私に、その実在を見せてほしい、と。
私がそのとき抱えていた苦しみは、世界と私が完全に分断されている感覚だった。
どんなに願ったとしても、世界は世界で回り続けている。
私の内側の悩みや表したいものは、そんな世界とは全く無関係なのだ。
それが私には苦しかった。
だからこそ私は、心から懇願した。
もしも本当に神というものがいるのなら、どうかその姿を見せてほしい。
こんなに何もなく、無意味な生をこのまま続けるなら、死んだ方がマシだ。
頼む!神が実在するということを、俺に示してくれ!
魂から血が吹き出すように、そう望んだ。
その瞬間だった。
今でも、はっきりと覚えている。
突然、空が明るくなった。
見上げると、光の玉が空を横切っていくのが見えた。
その明るさは、まさに小さな太陽のようだった。
その光の塊が空を駆け抜ける瞬間、辺り一面が、まるで昼間になったかのように明るく照らされた。
人工的な灯りではない。
飛行機ともヘリコプターとも衛星ともまったく違う。
そのような作動音は一切ない。
あるのは圧倒的な光と明るさだ。
そしてその小さな光の球体のようなものが、夜を昼へと塗り替えながら、ゆっくりと空を横切って、やがて海の向こうへと消えていった。
それと同時に、空はまた夜に戻った。
そのときの衝撃を、私は忘れることができない。
一体、何が起こったのだろう。
時間にすれば、おそらく10秒ほどだったと思う。
後になって調べたところ、それは「火球」と呼ばれる現象だった。
比較的大きな隕石が大気圏に入り、燃え尽きる際に、非常に明るく光ることがある。その現象を火球と呼ぶことを、私は後で知った。
しかし、そのときの私には、そんな知識はなかった。
全身が、しびれ衝撃に包まれていた。
何が起こったのだろう?
私の理性的な自我がなんとか自分を保つために、必死に整理をしようとする。
しかしもうひとりの自分がその頭の働きを鎮めるようにこう言った。
「お前が求めたものが与えられたのだ」
そして答えを出そうとする、自我の働きが停止した。
そう。
私は神を体験したのだ。
私は神を求めた。
そして、自分は世界から切り離されていないということ、内側と外側はつながっているということ。
私は、それを心の底から望んだのだと思う。
そしてその私の心の内側から発せられた叫びに応えるように、まぶしい光が現れ、私の真上の夜空を横切っていった。
私にとって、それは真夜中に太陽を見たような体験だった。
空に昇る太陽は、すべての人のための太陽である。
しかし、そのときの光は、神が私一人に答えてくれたかのように感じられた。
その体験は、19歳の私に大きな衝撃と、決定的な人生の転換点をもたらした。
そして私は「現実化」の本質を理解したように感じた。

画像:NOIRLab / AURA / NSF
ライセンス:CC BY 4.0
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fireball_from_Maunakea_(220220-212051-CC).jpg
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〔2〕最新スクール情報
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【募集中】アルケミスト上級WS<オンライン>
宇宙・太陽・月の神々によるイニシエーションと
叡智の現実化マジックの習得
2026年7月25日(土)・26日(日)
「アルケミスト」とは、宇宙の創造の原理を理解し、その流れと調和しながら、自らの人生を創造していく者のことです。
今回の上級ワークショップでは、錬金術の智慧を土台に、生命の木の体系を通して「宇宙の神・太陽の神・月の神」と出会い、それぞれの領域からイニシエーションを受けていきます。
私たちが日々体験する現実は、偶然の積み重ねではなく、宇宙の創造のプロセスそのもの。その仕組みを理解するとき、「現実化のマジック」は単なる願望実現ではなく、自分の本質と世界を結び直す叡智であることが見えてきます。
初級・中級で学んだ四大元素、カバラ、生命の木、惑星期の理解をさらに深め、宇宙の源から現実世界までをひとつの流れとして体験していく上級編です。
なお、本ワークショップは各回完結型のため、初級・中級を受講されていない方でも、今回のテーマに惹かれる方はご参加いただけます。
【募集開始】解放と変容ワークショップ《オンライン》
2026年8月29・30日(土・日)13:00ー17:00
「変わりたい」と願っているのに、なぜか同じパターンを繰り返してしまう。そんな経験はありませんか? このワークショップでは、私たちを知らず知らずのうちに縛っている古い信念や役割、アイデンティティを見つめ直し、本来の自分とつながるための「解放」のプロセスを体験していきます。
2日間にわたり、ブッダプログラムスクールの体系に基づいた講義と、ボディ・マインド・スピリットへ働きかけるパワフルなワークを実践。さらに、インストラクターによる丁寧なファシリテーションと、ワークショップ終了後7日間の継続ワーク(任意参加)を通して、変容を日常へと定着させていきます。
「表面的ではなく、本当の意味で変わりたい。」そんな願いを持つ方にとって、自分自身の本質と出会い、新しい人生の一歩を踏み出すきっかけとなる2日間です。
【募集中】アカシック ベーシックコース《オンライン》
2026年10⽉31日(土) 開講
この4日間のクラスでは、アカシックレコ-ドに関する基本的な概念、読み解くための方法、そして他者をリ-ディングするための実践的なテクニックを習得することができます。日本で最も多くのアカシックリ-ダ-を育成した経歴を持つ齊藤つうりによる長年の経験と豊富な知識によって、誰にでもわかりやすい講義や、凝縮したワークによって、非常に充実した内容です。
アカシックリーディングがまったく初めてという方から、様々なスピリチュアルな体験を経ている方まで幅広く、アカシックレコードを読む楽しさ、面白さ、そして感動を存分に味わう時間となることでしょう。またグル-プでワークを行うことで、ひとりでは決して体験することができない、他者を読むという経験を積むこととなります。
そして、ただ単にクラスを受講したというだけではなく、この4日間を終了することによって、恒久的な変化があなたに訪れることでしょう。そのことによって、あなたはアカシックレコ-ドという存在が、あなた自身と密接に関連しており、仕事、人間関係、健康などのとらえ方に大きな変化が起こることを体感することでしょう。
【募集中】アカシックエキスパートコース《オンライン》
2026年12月5日(土)開講
本コースは、アカシックレコードリーディング・ガイドのスキルを向上し、あらゆる領域で活用するためのコースです。またアカシックレコードの全体像を理論的に理解し、より詳細な情報を扱っていきます。
アカシックをスピリチュアルと呼ばれる領域だけではなく、科学・量子力学・ユング心理学といった観点を取り入れながら深めていくために、コース生は多角的かつ、実用的な領域でアカシックを活用することを可能とします。
そしてまた個性化の傾向性を、身体症状や自分自身が住う環境、アカシックグリドといった観点から深めていくという独自の方法を行い、「なれる最高の自分」を本質的に生きるためのクラスといえるでしょう。
非常に幅広いワークを取り扱い、受講者のアカシックの可能性を大幅にひろげてゆきます。
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〔3〕編集後記
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小説は書けなかったのですが、昔からひとつだけ得意なことがありました。
それは、「手紙を書くこと」です。
あまり大きな声では言えませんが、誰かに気持ちを伝えたいときや、困った状況をなんとかしたいとき。「お手紙作戦」を繰り出すと、不思議なくらいうまくいくことが多かったんです(なんなら恋愛シーンでも大活躍の必殺技でした…)。
それでも当時は「いくら手紙が得意だってなあ。手紙を書いて生きていけるわけでもなし」と思っていたので、20代のころは「自分は何を書く人なんだろう」と答えを探して、ライター講座やエッセイ講座、翻訳講座など、本当にいろいろな場所へ通いました。
でも、どこへ行っても言われることは同じでした。
「文章は悪くない。でも、何を書きたい人なのかがわからない」
その言葉を聞くたびに、自分でもわからなくなっていました。
ところがある日、本当に最近ですね、ふと気づいたんです。
「あれ? 今わたし、お手紙を書いて暮らしているぞ……」と。
会社員時代は、お客様へ届ける営業メールを書き(マーケティング部門だったので)、今はメールでのセッションや、「書いて深める」ことをテーマにした講座を届けつつ、日夜クライアントさんへお手紙をせっせと送り続ける毎日です。
子どものころ思い描いていた「小説家」という形にはなりませんでした。でも振り返ってみると、本当に好きだったのは、小説を書くことではなく、「書いた言葉で、人と深くつながること」だったのかもしれません。
え、人生って、ちょっと、わかりにくすぎる!と思わなくもないですが、自分では「思った通りにならなかった」と感じていても、もっと奥にあった願いは、ちゃんと別の形で現実になっていることがある。
そんなことに気づいたとき、子どものころのお手紙好きの自分が、「よかったね」と笑ってくれたような気がしました。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
文責:さめじまみお

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