なぜお金持ちやアイドルは悪魔にとりつかれるのか?【ブッダスクール通信vol.94】
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
最近のわたしはというと、少々、夫婦関係について考える時間を過ごしていました。
長く一緒にいる相手だからこそ、わかってほしいことがありますよね。
そして、長く一緒にいる相手だからこそ、なかなかわかってもらえないこともあります。
気づけば頭の中で、
「なんでそんな言い方をするんだろう」
「どうしてわかってくれないんだろう」
「悪いのはそっちじゃないかー!!」と、そんな思いがぐるぐる。
そしてへたに(?)いろいろ学んでいるせいもあり、相手は未熟で、自分は成熟している。相手は問題を見ようとしないけれど、自分は向き合おうとしている。そんな構図が、いつのまにか出来上がっていました。
いやいや、人の心というのは本当に面白いものですね。
の、続きは編集後記にて。
それでは本日も、つうりさん特別コラムをどうぞお楽しみください!
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「なぜお金持ちやアイドルは悪魔にとりつかれるのか?」
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世間を賑わす、大金持ちやアイドル、聖職者たちの奇行。
そうした人たちによる不正なお金の流れや、性的虐待、不倫といったニュースは、絶えることがない。
しかし、そのようなニュースは今に始まったことではない。
世界中で、聖職者、お金持ち、アイドル、芸能人など、社会的に注目を集める人たちが、時に常軌を逸したように見える行いをする。
では、なぜそのようなことが起こるのか。
一般の人たちから見れば、そこには、ひとつの見方がある。
特別な能力を持っている人。
特別にお金を稼いでいる人。
名声を手にしている人。
そういった人たちは、どこかおかしくなってしまうのではないか。
あるいは、何か悪いことをしているからこそ、お金や名声を手に入れたのではないか。
本当は、見えないところで悪いことをしているのではないか。
私たちの心の中には、そういう気持ちがある。
これはユング心理学の視点から見るならば、「集合無意識の影」として説明できる。
集合無意識の影とは、個人の心だけではなく、集団の中に作られる影のことである。
たとえば、私たちが「お金持ち」という言葉を聞いたとき、そこには表向きの印象がある。
しかし一方で、私たちの中には、「本当はお金を稼ぎたい」「もっと豊かになりたい」という思いもある。
もちろん、誰もが同じようにお金持ちになりたいわけではない。
けれど、お金を稼ぎたいのに稼げない。豊かになりたいのに、そうなれない。
そうした思いを抱えている人は少なくない。
そうすると人は、自分の中にある劣等感や惨めさを見たくなくなる。
お金を稼げない自分を直視したくない。
だからこそ、「自分が豊かになれないのは、誰かのせいなのだ」と思いたくなる。
そのときに「お金持ち」という存在を見ると、
「あの人たちは悪いことをしているのかもしれない」
「自分ができないことをしているのだから、きっと何か裏があるのだろう」
という思い込みが生まれる。
つまり、自分の心の内側にある影が、他者へと投影される。
本当は、自分はお金持ちになりたい。
けれど、自分はそうはなれない。
その悔しさ、妬ましさ、嫉妬、劣等感を見たくない。
だからこそ、その影を他者に映し出す。
世間のニュースで「お金持ちが不正を行った」「アイドルが不倫をした」といった話題が流れると、多くの人がそこに飛びつく。
「ほら、見たことか」
「あの人たちは、やっぱり悪いことをしていたんだ」
「悪いことをしているから、お金を稼げたんだ」
「特別な才能がある人は、どこかおかしいんだ」
そう思うことで、人は安心する。
つまり、私は悪くなかった。
悪いのは、お金を稼いでいる人たちだ。
悪いのは、特別な才能を持っている人たちだ。
そう思い込むことによって、自分の安全な立場を確保する。
その代表的な例として、マイケル・ジャクソンのことがある。
マイケル・ジャクソンは1990年代以降、激しいバッシングを受けた。
世界中のメディアで、小児虐待の疑惑や、子どもたちへの性的虐待の疑惑が報じられた。また、自分の子どもへの扱いについても、さまざまな批判的な報道がなされた。
それまでキング・オブ・ポップとして輝いていたマイケル・ジャクソンが、そのようなことをしているのではないか。
そう聞いたとき、最初は多くの人が疑った。
けれど、そのときに集合無意識の影が働いた。
特別な人は、悪いことをしているに違いない。
才能がある人は、悪いことをしているに違いない。
お金持ちは、存在そのものが悪なのではないか。
そのような心が働いた。
本当は、自分自身に才能がなかったり、お金を稼げなかったりする苦しさを見たくない。
だからこそ、特別な才能がある人は悪い人なのだと思い込むことで、自分への免罪符を発行しようとする。
そうして、マイケル・ジャクソンは英雄から悪役へと引きずり下ろされていった。
しかし、マイケル・ジャクソン自身は、「私は本当にそんなことはしていない」と主張していた。
けれど、その声は、集合無意識の影の大きなうねりの中で、かき消されていった。
そして彼は、変わった人、危険な人、悪の象徴であるかのように扱われていった。
同じように、私たちは、アイドルやお金持ちが何か少しでも変わったことをすると、すぐに「奇行をしている」「悪いことをしている」という印象を持つ。
その働きとは、私たち自身が、自分の影を見ないようにする心の働きである。
自分自身の惨めさや嫉妬、劣等感を見ないようにする心である。
誰か悪い人がいれば、自分は安心・安全でいられる。
その心が悪魔を作り出し、お金持ちやアイドルを悪魔に変えてしまう。
これが、「なぜお金持ちやアイドルは悪魔にとりつかれるのか」という問いの、ひとつの真実である。
もちろん、一部のお金持ちやアイドル、また聖職者の中には、実際にとんでもないことをしでかした人もいる。
具体的な事実として、不正や罪が明らかになる場合もある。
そのこと自体を否定する必要はない。
しかしながら、私たちが、
「お金持ちは、悪いことをしているからお金を稼いでいるんだ」
「アイドルは、特別な才能があるけれど、何かと引き換えにしているんだ」
「聖職者は、表ではいいことだけを言い、裏ではとんでもないことをしているんだ」
そのように思うとき、一度、自分自身の心を振り返る必要がある。
本当にそれは、外にあるものなのか。
それとも、自分の内側にあるものなのか。
自分自身の影ではないのか。
もし私たちが、自分の影の働きに気づくことができたなら、一方的な情報や、十分な証拠のない話、マスコミの一部の意見に過剰に反応することなく、本当に何が起こったのかを見極めようとすることができる。
そして同時に、自分自身の心と直面することができる。
自分が、どんな感情に操られようとしているのかに気づくことができる。
すぐに誰かを悪魔に仕立て上げようとする心。
その心こそ、自分の内側にある本当の悪魔なのかもしれない。
悪魔は、いつも醜い顔をして現れるわけではない。
むしろそれは、「私は正しい」という顔をして現れる。
「みんなもそう言っている」という声をまとって現れる。
「悪い人を裁いているだけだ」という安心感の中に、静かに入り込んでくる。
だからこそ、本当に恐ろしいのは、お金持ちやアイドルや聖職者が悪魔にとりつかれることではない。
本当に恐ろしいのは、誰かを悪魔だと決めつけた瞬間に、私たち自身が、自分の内側の悪魔に気づけなくなることである。
悪魔を見つけたと思ったとき、私たちは一度、立ち止まらなければならない。
その悪魔は、本当に相手の中にいるのか。
それとも、自分の影が、相手の姿を借りて現れているだけなのか。
人を裁く前に、自分の心を見る。
外側の悪を叫ぶ前に、内側の影に気づく。
悪魔は、自分は正しいと信じた瞬間に、私たちの内側で目を覚ますのだから。
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〔2〕最新スクール情報
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【募集中】第5期アカシック<プロフェッショナル>コース
2026年6月20日(土)開講
このクラスは1年間のプログラムを通して、リーディング・ガイドの実践を重ね、それぞれの現場で活躍するためのアカシックリーダー・ガイドを育成するためのクラスです。
アカシックレコードの高次元の領域までの開発を行うことで、実践的なスキルを深め、日常のなかで機能するアカシックリーディング・ガイドとして皆さんが活躍するための場を意図してプログラムされています。
このコースは1年間をかけることで、アカシックリーディング・ガイドをあなた自身の肉体・精神・霊性と統合させる目的があります。
また宇宙システムと地球システムの本質的な理解により、認識の視座は大きく解き放たれることでしょう。
そして魂の青写真とあなた自身の人生はひとつのとなり、無限の色彩をもった表現へと変容していくのです。
またもしあなたがこのコースを本当の意味でやりぬいたなら、あなたは自分自身がひとつの体系をつくりだすことができる力を養うことになるでしょう。
【募集開始】弥勒力行動部《オンライン》
2026年6月24日(水)開講
<弥勒力行動部>は、TIC弥勒力セクション(旧弥勒力クラス)で見出したビジョンを、実際の行動や活動、仕事へと育てていくための6か月間の実践コミュニティです。弥勒力セクションでは、「私は何を大切にしたいのか」「どんな世界を創りたいのか」「これから何を表現していきたいのか」といった問いを通して、自分自身の本質的な願いや方向性を見つめてきました。
しかし、ビジョンが見えても、それを現実の形にしていくことは簡単ではありません。やりたいことはあるのに何から始めればいいかわからない。発信や企画に挑戦したいけれど、一歩が踏み出せない。そんな壁にぶつかることは少なくありません。
弥勒力行動部は、そうした「わかった」と「やってみる」の間をつなぐための場です。ここでは知識を増やすことよりも、自分のビジョンに基づいて実際に行動することを大切にしています。
発信してみる。企画してみる。誰かに届けてみる。小さな実践を重ねながら、その経験や気づきを仲間と共有し、次の一歩へとつなげていきます。
また、この行動部が大切にしているのは、「ひとりで頑張らない」ということです。同じ志を持つ仲間と励まし合いながら進むことで、行動は継続しやすくなり、可能性も大きく広がります。
頭の中にある想いやビジョンを、現実の世界で少しずつ形にしていく。そのための6か月間の実践コミュニティが<弥勒力行動部>です。
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〔3〕編集後記
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そんなこんなでここ数日、自分の心を眺めながら過ごしていました。
わたしの中にあったのは、「優しくされていない」「気遣われていない」「大切にされていない」という感覚でした。さらに自分の心をもう少し丁寧に見てみると、その奥には「わたしはこんなにも寂しかった」という感情がありました。
そして、その寂しさに気づいたとき、もうひとつ思ったことがあります。それは、「気づいたからといって、別に楽になるわけではないよな」と(笑)。
誰かが突然優しくなるわけでもありません。世界が急に変わるわけでもありません。わたしは寂しいまま。だから正直、「それがわかったから何なんだろう?」という気持ちもありました。
でも、気づくことの価値は、世界を変えることではなく、戦う相手を間違えなくなることなのかもしれない。たとえば、「大切にされていない」という痛みを見ないままでいると、夫を変えれば解決する、夫が謝れば解決する、夫が成長すれば解決する、そんな話になります。
寂しさに気づく前は、戦う相手は夫で、相手を変えようとしていました。
でも気づいた後は、「わたしは本当は何を求めているのだろう」という問いが残りました。
その問いにすぐ答えは出ません。
けれど人生には、答えを急がなくていい問いもあるのかもしれません。
誰が正しいのか。誰が悪いのか。そんなことよりも、今、自分の心で何が起きているのか。それを静かに見つめる時間を持つこと……で、いったんはいいのかな。
そんなことを考えた、初夏の日々でした。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
文責:さめじまみお

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