ネズミの糞とゴキブリの死骸にまみれて、覚醒について考えた話【ブッダスクール通信vol.95】
みなさま、こんにちは!
ブッダスクール通信メルマガ担当のさめじまみおです。
梅雨入りしたかと思えば、夏のような暑さの日もあって、季節の移り変わりの早さに日々新鮮に驚いています。
最近のわたしはというと、「内側」と「外側」について考えていました。
自分の気持ちを見つめること。
本当に大切にしたいものを知ること。
どんな人生を生きたいのかを考えること。
こうしたことはとても大切なこと!という意見に異論がある方はきっと少ないですよね。
実際、わたし自身もこれまでたくさんの時間をかけて、自分の内側と向き合ってきました。
けれども最近になって、ひしひしと思うことがあります。
それは、どんなに素晴らしい気づきも、実際に行動してみないと見えてこないことがある、ということです。
頭の中ではわかっている。
大切なことも知っている。
やりたいこともある。
でも実際にやってみると、思っていたのと違ったり、思わぬ壁にぶつかったり、逆に思いがけない可能性が見えてきたりする。
ずっと、人生に大切なのは「気づくこと」だ!と思ってきたけれど実は、「やってみること」の重要性から目を逸らせちゃもったいないのでは??と、そんな気持ちに……。
の、続きは編集後記にて。
それでは本日も、つうりさん特別コラムをどうぞお楽しみください!
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〔1〕齊藤つうり特別コラム
「ネズミの糞とゴキブリの死骸にまみれて、覚醒について考えた話」
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お寺の住職になって、5年が経った。
住職になった当初、私がまず始めたのは片付けだった。
私がいない間、寺の一部はかなり荒れた状態になっており、家屋の中には物が散乱し、奥の方には放置された食料にゴキブリやネズミが群がっていた。
そう。私の住職としての仕事は、片付けと掃除から始まったのだ。
そして数年が経ち、寺のほとんどの場所に手が入り、見違えるほど整理された。
寺の家屋に入った人たちは、「すごくキレイですね。お寺のイメージが変わりました」と口々に言うほどとなった。
しかし、実はまだ手をつけていない場所があった。
それは天井裏の奥の物置である。
古いものが詰め込まれたその場所は普段使用する必要がないため、ひとまず手をつけずに、時間ができた時にやろうと寺のスタッフと話していた。
けれど今回、寺のさまざまな課題がひと段落し、ようやく私たちは、その最深部の片付けに着手することになった。
そしてつい先日、長年閉じられた天井裏への扉を開けた。
扉を開くと、粘着した何かを剥がすような、ベリベリという音がした。
寺のスタッフは、中の様子を想像するだけで耐えられないというので、私一人で入ることとなった。
梯子を上り、天井裏へと入った。
やはり、そこには、5年前と同じ光景があった。
ネズミの糞。
物をどかせば、ゴキブリの死骸。
そして最深部へ進んでいった時、この作業に慣れた私でさえ、躊躇する光景が広がっていた。
そこは、天井裏のなかでも古い布団が積み重なったエリアだった。
照明が切れ、換気もされず、真っ暗闇の向こうに、布団の山が沈んでいた。
床にはゴキブリの死骸やネズミの糞が散乱していた。
ここに踏み込んでいくには、それなりの覚悟がいる。
普段、使うことのないエリアなので、このまま放っておいても問題があるわけではない。
見なかったことにして、永遠に蓋をしてしまうこともできるだろう。
しかし同時に、こんな思いが湧いてきた。
「今やらないと、もう二度とここまで踏み込むことはできない。そして今これに直面しているということは、今が向き合うタイミングなのだ」
暑くもなく、寒くもないベストな季節を選んで、この片付けを始めた。
この季節なら、天井裏に半日入り込んでも、体力的には耐えられる。
私は完全防備をした。
汚れても良い服装に、マスク、ゴム手袋。ネズミの糞はたとえ乾燥していても、感染症のリスクがあり、注意が必要だ。
明かりが届かないため、作業用のライトで照らしながら作業に取り掛かった。
天井裏の高さは1メートル弱しかないため、立つことはできない。
かがみ込みながら、中腰で作業をするしかない。
放置された古い布団をめくると、マスク越しでもネズミの糞尿の匂いが伝わってきた。
布団をゴミ袋にまとめて入れようとすると、間から糞がパラパラとこぼれ落ちた。ネズミの糞とゴキブリの死骸を、床から集め、拭き取り、作業を続けた。
ライトの薄明かりに照らされた天井裏。
このような作業を進めていくうちに、私の意識は、変性意識状態へと入っていった。
この天井裏は、まるで心の深層みたいだ、と私は思った。
そして「最も汚染された場所」の奥から出てきたのは、かつての住職たちが残した書物や表彰状、そして私の前に住職を務めていた兄の思い出の品々だった。
その中に、一枚の印象的な絵があった。
それは兄が長年大切にしていた、「影と向かい合う人物」の絵だった。
以前は廊下に飾られていて、兄は引っ越すたびに持ち歩いていた絵だった。
しかし、いつしかその絵は忘れられ、寺の最も奥深い場所にしまい込まれていたのだ。
まさにシャドウだ、と私は思った。
私たちは、普段目にする場所を整える。
リビングやキッチン。
寺でいえば本堂や客殿。
人に見える場所。
自分でも日常的に触れる場所。
それは私たちの顕在意識をあらわしている。
そして古いもの。
忘れられたもの。
以前の人たちが残したもの。
未整理なものが、押し込められた場所。
そうした場所は、無意識をあらわしている。
私はその時、はっきりと気づいた。
これは、私たちの意識の構造そのものなのだ、と。
奥の方には、父や兄、祖父たちから受け継いだものがある。
そして私たちは、知らないうちに、その影響の中を生きている。
それを普段は切り離して日常を送っているが、時にはそれらと向かい合わねばならない時がくる。それが今なのだ。
そして何より不思議だったのは、そのタイミングで「影と向かい合う人物」の絵が出てきたことだった。
一連の出来事は、私自身の意識と無意識、そして寺という場の意識と無意識の全体性をあらわしていた。
薄明かりの天井裏で、ネズミの糞とゴキブリの死骸にまみれながらも、私の心はたしかにこの寺の深層に触れているのだという不思議な統合感が、そこにはあった。
以前の私は、悟りや覚醒というものを、「高く登っていくこと」だと思っていた。
手放せば手放すほど自由になり、意識の高みへ到達できる。
そんなふうに思っていた。
けれど、アカシックリーディングのセッションをはじめ、講師として立ち、多くの人と関わる中で、あることに気づいた。
それは人が高いものを目指そうとすると、そこには必ず低いものが現れる、というひとつの法則だ。
家庭のトラブル。
身近な人による裏切り。
身体の不調。
クライアントや参加者との関わりを通じて、「高みに向かおうとする時ほど、深い影が現れる」という法則が、たしかにそこにあることが理解できた。
つまり覚醒というものは、高みにあるものだけではなく、低いものや、見ないようにしている影までも統合した状態を指すのだ。
もしそうであるならば、すべてを見るしかない、と私は思った。
自分の中の高いものも、低いものも。
美しいものも、醜いものも。
それらすべてを見ていくこと以外に覚醒への道はないのだから。
そう思った。
しかし、その後さらに、もう一つの気づきが訪れた。
人間の小さな頭や自我では、すべてを理解することなど決してできない。
どれだけ「理解した」と思っても、影は必ず裏側に回る。
光があれば、影もまた生まれる。
「見えている」と思った瞬間に、すでに見えていないものがある。
ソクラテスの言う「無知の知」。
統合とは、「二つのものを一つにした」という認識ではなく、むしろ「自分にはまだ見えていないものがある」と知ることだ。
見たくないものから逃げないこと。
そして同時に、自分がすべてを見切れる存在ではないと知ること。
その両方を抱えながら生きること。
それこそが、本当の意味での統合なのだろう。
だからこそ、高く登ろうとすればするほど、低いものも現れる。
そして逆に言えば、本当に高く登りたいなら、深いものを見なければならない。
高いものと低いものは、別々ではない。
深みの反対側に、高みがあるのでもない。
それらは、最初から一つのものだ。
ダンテが『神曲』で、地獄の最深部を通過した先に、天国へ至る道を見出したように。
最も聖なるものは、最も俗なるもののなかにこそある。
だからこそ、自らの高みを見出そうとした時に、最も低いものが現れてくるのは、当然なのだ。
その二つは同じものなのだから。
薄暗い天井裏で、ネズミの糞とゴキブリの死骸のなかに座り、ライトの灯りで照らし出される影の絵を見つめながら、私の心は不思議なほど静かだった。
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〔2〕最新スクール情報
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【募集中】夏至スペシャルワークショップ「結合の神秘と聖なる炎のワーク」《オンライン》
2026年6月19日(金)19:00~22:00 開催
夏至は、一年のなかでもっとも太陽の力が高まる特別な節目です。古来より、火や浄化、再生と深く結びつけられてきたこの時期は、自分自身を振り返り、本来の願いへと立ち返るための大切なタイミングでもあります。
私たちは日々、「こうあるべき」「もっと成果を出さなければ」といった外側の価値観に影響を受けながら生きています。しかしそのなかで、いつのまにか自分の本心から離れた欲求や執着に巻き込まれてしまうことも少なくありません。
今回のワークショップでは、錬金術やユング心理学で語られてきた「結合の神秘」をテーマに、対立する感情や葛藤を見つめながら、自分自身の内面をより深く理解していきます。前半では、アカシックレコードから見た2026年後半の世界情勢や経済の流れについて最新の情報をお届けし、その後、錬金術やユング心理学で語られてきた「結合の神秘」をテーマに、自分自身の内面にある葛藤や対立を見つめていきます。そして後半には、呼吸と音楽を用いた「聖なる炎のワーク」を通して、それらの解放と統合を体験していただきます。
外側の価値に振り回されるのではなく、自分の内側から生まれる本質的な願いへと還っていくこと。そのための夏至の特別な時間をご一緒しましょう。
【募集中】第5期アカシック<プロフェッショナル>コース
2026年6月20日(土)開講
このクラスは1年間のプログラムを通して、リーディング・ガイドの実践を重ね、それぞれの現場で活躍するためのアカシックリーダー・ガイドを育成するためのクラスです。
アカシックレコードの高次元の領域までの開発を行うことで、実践的なスキルを深め、日常のなかで機能するアカシックリーディング・ガイドとして皆さんが活躍するための場を意図してプログラムされています。
このコースは1年間をかけることで、アカシックリーディング・ガイドをあなた自身の肉体・精神・霊性と統合させる目的があります。
また宇宙システムと地球システムの本質的な理解により、認識の視座は大きく解き放たれることでしょう。
そして魂の青写真とあなた自身の人生はひとつのとなり、無限の色彩をもった表現へと変容していくのです。
またもしあなたがこのコースを本当の意味でやりぬいたなら、あなたは自分自身がひとつの体系をつくりだすことができる力を養うことになるでしょう。
【募集開始】弥勒力行動部《オンライン》
2026年6月24日(水)開講
<弥勒力行動部>は、TIC弥勒力セクション(旧弥勒力クラス)で見出したビジョンを、実際の行動や活動、仕事へと育てていくための6か月間の実践コミュニティです。弥勒力セクションでは、「私は何を大切にしたいのか」「どんな世界を創りたいのか」「これから何を表現していきたいのか」といった問いを通して、自分自身の本質的な願いや方向性を見つめてきました。
しかし、ビジョンが見えても、それを現実の形にしていくことは簡単ではありません。やりたいことはあるのに何から始めればいいかわからない。発信や企画に挑戦したいけれど、一歩が踏み出せない。そんな壁にぶつかることは少なくありません。
弥勒力行動部は、そうした「わかった」と「やってみる」の間をつなぐための場です。ここでは知識を増やすことよりも、自分のビジョンに基づいて実際に行動することを大切にしています。
発信してみる。企画してみる。誰かに届けてみる。小さな実践を重ねながら、その経験や気づきを仲間と共有し、次の一歩へとつなげていきます。
また、この行動部が大切にしているのは、「ひとりで頑張らない」ということです。同じ志を持つ仲間と励まし合いながら進むことで、行動は継続しやすくなり、可能性も大きく広がります。
頭の中にある想いやビジョンを、現実の世界で少しずつ形にしていく。そのための6か月間の実践コミュニティが<弥勒力行動部>です。
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〔3〕編集後記
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「内側を見つめること」と「実際に行動すること」は、車の両輪のようなものなのかもしれないなと思っています。
わたしたちはつい、どちらかに偏りがちです。
まずは自分を知ろう。もっと気づこう。もっと整えてから動こう、みたいな。
一方で、とにかく行動だ。直感を大切に!考える前にやってみよう。そんな考え方もあります。
でも実際には、そのどちらかだけではなくて、行ったり来たりしながら進んでいくものなのかもしれません。
自分を見つめて、少し動いてみる。
やってみたからこそ見えてきた自分を、また見つめる。
わたし自身も振り返ると、今やっている仕事や活動の多くは、最初からうまく形になっていたわけではありませんでした。
文章を書くことも、イベントを企画することも、講座をつくることも。
でも思い返せば、まずは小さくやってみるとか、誰かに話してみるとか、言葉にしてみる、スケジュールを立ててみて実際に届けてみる、をこつこつと、まるで畑仕事のようにやってきて、少しずつ育ってきたものばかりです。
そしてもうひとつ感じるのは、行動というのは、ひとりだとなかなか続かないということです。応援してくれる人がいたり、報告できる場所があるだけで、人は思っている以上に前へ進めるのだと思います。
そんなことを考えていたら、「ビジョンを見つける場」の次には、「ビジョンを育てる場」も必要なのかもしれないな、という思いが自然と湧いてきました。
そんな思いから、このたび「弥勒力行動部」をスタートすることになりました(ご存知ですよ……ね……?笑)。
もし今、
「やりたいことはあるけれど動けない」
「形にしたいけれど何から始めればいいかわからない」
「ひとりだと続かない」
そんな気持ちがある方がいたら、仲間とともに小さな一歩を重ねる6ヶ月をご一緒できたら嬉しく思います。
今日も、最後までお読みくださり、ありがとうございました。
文責:さめじまみお

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